2017年4月10日月曜日

4月8日

 <白石一文 『彼が通る不思議なコースを私も』(集英社文庫、2017年-初刊2014年)>:人の死期を感知し、発達障害教育の塾を経営する椿林太郎、未来テレビの発売に注力する妻の霧子。死・教育・愛・・・と深いテーマが続くが、最も惹かれたのは教育。学校教育、そこに勤める教師や親の姿勢、結局基底にあるのは日本人というのか個人個人の生きる事への思いの強さであり、考える能力にあると思う。世間への迎合、組織への盲従、後悔、誤魔化すことによる捻り曲がった自己弁護、そんなものがこの世界の底にこびりついている気がしてならない。
 林太郎は自己の信念に基づいて発達障害の子どもたちをねじ曲がった教育環境から救い出そうとする。霧子は仕事に取り組んでいるが林太郎の進んでいる道に時に懐疑的になりながら、前に踏み出していく。しかし、小説のはじまりは緩やかに坂を上り続け、終わりは何か急勾配を降りるような感じがした。
 超能力を身につけている主人公を登場させる小説は嫌いなのだが。白石一文の小説だけは別。なぜなら彼の小説は豊かな想像力(鋭い感性)と深い思考があり、超能力はその手段でしかないからである。

 8日は68歳の誕生日。最近は年齢をなるべく意識するようにしている。若いつもりでいることに陥りやすいが、本当はそれは大いなる誤解であると自覚するためである。
 この日は高校同窓会の花見。時折雨が降ってくる天候のせいであろう上野公園に繰り出している人はとても少ない。トイレに並んでいる人もおらずそこは助かる。最後には雨が降ってきて花見終了となり、カラオケへと繰り出した。
 カラオケ終了後、まだ時間が早いので、“みはし”と“がんこ亭”で家人へのお土産を購入。
 蕎麦を食べたくなりTHの案内で歩を進めたが生憎と店は閉じていた(潰れたのか)。二人で駅に向かうと海鮮料理の居酒屋があり立ち寄った。そこで貝などを焼きながら少し飲む。同じテーブルの端にいた若い女性と話を交わし、彼女が会計を終えた後でこちらに誘う。鹿児島/垂水出身で大学では物理を専攻し、いまはLSI設計に携わっているようである。この日に読み終わった前記の文庫本『彼が通る不思議なコースを私も』をあげ、我々二人は上野駅方面、彼女は湯島方面に向かい別れた。
 間違ってJRに入ってしまい、ままよと大宮経由で無事に帰宅。

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