2017年4月13日木曜日

リッピング・ファイルのTag情報、小説一冊

 11日、春という柔らかな暖かさはなく、冷たい雨が一日中降っていた。
 CDからflacでリッピングしたファイルがたくさん貯まっていたので、11日はテレビをみながらtag情報を整理し続けた。SonyのHDDオーディオ・プレーヤーHAP-Z1ESでリッピングするのだが、Gracenoteから得られる情報は全てが統一されている訳ではない。リッピングしたファイルはHAP意外にもポータブル・プレーヤーにも入れており、検索のしやすさ、ファイルの管理上・視認性から自分なりのタグ情報形式を定めており、結局は個々のファイルを編集するしかない。頭を使うことも、さしたる集中力も必要としないのでテレビでも見ているときなどにPCを操作するようにしている。
 持っているCDやLPをすべてflacやmp3に落とし込もうとは思っていないが、いつまで続けることになるのか、自分でも分からないでいる。というより、いつまでも続けるわけにもいくまい。ほかにやるべき事もある。

 <松家仁之 『沈むフランシス』(新潮社、2013年)>:誰かの書評を読んで購入し暫く放っておいた一冊。
 表紙はモノクロームで雪と犬の顔。冒頭は水の流れに身をまかせ、足の裏が鋼鉄の柵にに当たって進めなくなり、進まなくとも良い、と独り語る。表紙およびこの冒頭の描写からフランシスとは中型か大型の犬であろうと漠然と予想した。しかし、物語から思うと、表紙に描かれた犬の鼻は、寺冨野和彦と抱き合っている撫養桂子の腹にあたる彼の膨らんできたものであるようだ。フランシスは水力発電のフランシス・タービンであり(大学の時に水力学で出てきたと思う-懐かしい)、台風で湧別川が増水し、フランシスは川に沈み、桂子と寺冨野は抱き合い、桂子にはなにも聞こえなくなる。そこでこの小説は終わる。
 桂子は東京の大手企業を退職して北海道の小さな村の郵便局で非正規雇用の局員として郵便配達の仕事をする。そこで知り合った寺冨野は音を聴く趣味があり、水力発電を保全する仕事をして一人暮らしをしている。二人は知り合って桂子は彼の家に通うようになる。一緒に料理を作り、食事をし、ベッドで抱き合う。
 この本の帯に書かれている文章を部分的に拾う・・・「五官ののすべてがひらかれる深く鮮やかな恋愛小説」で「からだをふれあうことでしかもたらされない安息と畏れ」とある。しかし、「恋愛小説」とは感じなかった。「畏れ」も感じ取れなかった。二人は恋愛をしているのではなく、北海道の自然の「小麦畑を撫でる風、結晶のままに落ちてくる雪、凍土の下を流れる水、黒耀石に刻まれた太古の記憶」のなかで、深く意識もせずに、そこに男がいるから、女がいるから料理を作り体を求め合ったあっただけに過ぎない。著者は恋愛小説ではなく、自然の中でただ流れるままの姿を描いたのではないかと思う。桂子の哀しみや楽しみ、東京を離れる理由が分からない。寺冨野は入れ込んでいる「音」から何を感じ取っているのかもよく分からない。乱暴を承知で書いてしまうと、深く悩みもせず、だから深い悲しみや膨らむ希望や楽しみを感じ取ることはできず、ただ食べること抱き合うことで時を過ごしている男と女を描いただけでしかない。この小説には共感もなく、ただ突き放してしまうしかない。無機的なフランシス・タービンの動きを二人の感情に重ねて象徴的に描写することはできなかったであろうか、そんな気がした。

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