2017年5月4日木曜日

駒沢敏器の本

 <駒沢敏器 『アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄 58号線の向こうへ』(日本経済新聞出版社、2009年)>:『ミシシッピは月まで狂っている』(1997年10月)、『語るに足る、ささやかな人生』(2007年12月)、『夜はもう明けている』(2008年2月))、『地球を抱いて眠る』(同年8月)以来、9年ぶり5冊目(括弧内は読んだ年月)。
 パイの店(「アメリカのパイを買って帰ろう」)、チビだった少年時代(「きみは小さいのでショーリーと呼ばれたんだよ」)、CoCo壱番屋(「嘉手納軍人のソウルフード」)、ブロックで家をつくる(「石の箱でおうちをつくる」)、SPAMの缶詰(「今宵はポーク缶詰のバラッド」)、コザの観光ホテル(「最後の京都ホテル」)、アメリカから外に出ざるを得なかった牧師の苦悩と前進(「教会を捨てて戦争にNOと云う」)、沖縄はアメリカのコロニーとなり、その後は日本のコロニーと化す(「芝生のある外人住宅」)、ロック・ポップスで沖縄文化を築いた人たち(「幻のラジオステーションKSBK」)。
 政治史、米軍の軍政史、経済史等々から見る沖縄にはあまり興味はない。それよりもアカデミックに著されることの尠い生活史に目が向く。地政学的に立っての米軍駐留是認、日本から離れたら経済的に破綻する或いは中国に隷属させられるとか、視座を「日本」におく無知蒙昧とも思える底の浅い感想もよくあるが、基本は人々の生活そのものに置くべきであろう。沖縄の歴史を感じ取るにはこの本のような視座に身を置くことが大切だとつくづく思う。それは歴史書で語られることは少ない。

 <駒沢敏器 『人生は彼女の腹筋』(小学館、2014年)>:著者最後の作品集である小説集(5編)。もっとも好ましいのは「ルイジアナ大脱走」だが、このコミカルとも言えるタイトルはいただけない。いっそのことストレートに「ノーリンのベニー・アントワン」とでもした方がよかったのではないか。「人生は彼女の腹筋」は分からないし、描こうとした「人生」が何なのか分からない。「那覇空港のビーチパーティ」は『アメリカのパイを買って帰ろう』に繋がっているが、ノンフィクションで描けた時間や空間が小説では描き切れていない感がある。

 上記2冊は購入したまま数年間は読んでいなかった、というより亡くなってしまったことに「何故?」がいつもつきまとい、もうこの著者の本は読めないと思うとなんとなく手が伸びなかった。
 『ミシシッピは月まで狂っている』でアイリッシュ音楽に惹かれ、エニスのミュージック・ショップに発注してアイルランド西クレア地方を中心にしたインディーズのCDを購入するようになった。『語るに足る、ささやかな人生』(いい本である)でアメリカの片田舎を撮した写真が記憶に残っている。
 2012年3月に「首に絞められた痕があっ」て、母親の書き置きもあったとの報道が成されている。あるブログには、前年末から原因不明の病気に罹っていたらしいとの記事がある。真の死亡原因は分かっていない。好きな作家がいなくなるというのは、自分の人生も黄昏時に向かって歩んでいるような気がして寂しい。
 『街を離れて森のなかへ』(新潮社 1996)は読んでいない。多分手にすることはないだろう。51歳で亡くなったその理由はネットを探しても見つからない。

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