東洋大学「現代学生百人一首」、第33回入選作より以下を選択。今年は昨年・一昨年よりも響いてくるものが少なかった。こっちの感性が尚更に鈍くなったのかもしれない。
留学のポスターの前で立ち止まる夢ある友とまだない私
年齢を重ねると次のように口ずさむかも。“友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ”(啄木)
おとうとのつむじが見えなくなった日にひとには別れがあることを知る
鏡に映る我が顔の、上を見やれば白くなり、部分的には肌が見え、若きときへの別れを知る。
世のしくみ速さ第一何事も今は通じぬ大器晩成
大器晩成と言い訳することができるのは何歳までなのだろう。
一日の中で一番美しいのは夕暮れ時、と著名な作家は小説に書いている。ならば、大器ならずとも平凡に生きてきた人生の夕暮れ時=晩年もまた美しいと言えるだろう、多分。そう思いたい。
「待たせてた?」「今来たところ」とはにかんだ今は約束の二十分前
相手を気遣っていなければこのような言葉は出ない。慣れて、そして狎れてしまえば「今」はなくなり、遅れることに気後れしなくなる。
電車内スマホの群れに紛れ込むおじいちゃんの古本の香り
「おつ」「おけ」「り」スマホの会話単語だけそんなにみんな忙しいのか
電車を待つ人も乗った人も、うつむき加減にスマホを見ては操作している。この異常な情景。そして記号化された言葉。文字とともに築き上げられてきた文化そのものが消え去っていくのだろうと思う。俺だって明治の頃の文章を円滑には読めない。文語体、口語体、その次に来るのはスマホ体となるのだろうか。
日本地図眺めて祖父はつぶやいた「俺の生まれた満州はない」
かつて満州国建国を果した日本を懐かしんでいるのか、はたまた13年半の泡沫のような国に生まれた不遇の身を歎いているのか、あるいは時の政治を恨んでいるのか。祖父のつぶやきの中に何があるのだろうか。
静電気パチリと鳴ったそれだけで笑えた君とあの冬のとき
静電気がパチリと鳴ったのはどんな時かな。授業中? 下敷きを頭に乗せてふざけ合ったとき? セーターが触れあった時? それとも・・・。
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