2015年10月19日月曜日

芸術の秋-2/2

 当初は御徒町にホテルをとるつもりだったが満室で予約が叶わず、結局は西武新宿駅直前のカプセルホテルに入った。風呂に入ってカプセルに入り、そこから出たのは9時少し前で、結局は9時間近くも寝た。ルノアールにてコーヒーとモーニングサービスの食事を摂り、KYのバス出発は17時ということもあり、時間的に余裕があるので急遽ホキ美術館に向かうこととした。KYも自分も以前より行きたいと思っていたのでそうすることに決めたのだが、最寄りの駅が判らない。横にタブレットを操作する若い男性がおり、図々しくも彼に調べて欲しいと頼み込み、にこやかな表情で応対してくれ、やはりガラケーではなくタブレットは必要かな、少なくとも先日息子からもらったiPad-まだ操作に不慣れ-を持ってくれば良かったと思った次第。
 新宿から千葉・蘇我を経て土気駅に到着し、タクシーでホキ美術館に入った。日曜日ということもあるのだろう、そこそこの人が訪れていた。ギャラリー1から順にまわったのであるが、ギャラリーに入ったその瞬間から写真と見間違うほどの細密な写実的な絵に驚く。遠くから眺めては驚き、近くに寄って目を凝らしてはまた驚き、ただただ敬服するばかり。1本ずつ描かれた女性の柔らかな髪にため息をつき、背景と服との白色の微妙な描かれ方などに言葉を失くすばかりだった。絵を描く能力に著しく劣る自分にとって、絵をかける人が羨ましいのであるが、ここに来て思うのは、羨ましいという気持はとても失礼なことであって、画家はもう次元の違うところにいる人だという気持である。女性の肌、髪、深い奥まで表現される眼、実際と異なることのない木の床、青空を背景に描写される雲々、透明感のある水の流れ、樹木、家、等々。自分の家の壁に吊り、いつまでも、いつも見ていたいと思う絵も沢山あった。もちろんそんな事は実現する筈もなく、100円を出して絵はがき大の絵を購入することしかできない。648円のA3サイズのものも販売しているのだが一番好きな絵はなかった。そのサイズには、女性の裸体で好きなものがあったのだが、自室に掲げたときの家人の反応、娘の子どもの発する言葉、息子の嫁さんの見開く眼と表情を想像すると-自分の部屋にはみんな自由に入ってくる-臆してしまい、小さな葉書大のものを購入し、パソコン横のスピーカーの上に置くにとどめた。来年になれば展示品の入れ替えをするであろうから、もう一度行ってみたい。あの精細さと美しさは実際のものを見るに優るものはない。

 ホキ美術館を出て土気駅まで20分ほど歩き、KYとは秋葉原駅で別れた。
 前日は永青文庫で春画展、この日はホキ美術館での写実絵画、どちらも芸術ではあるが、ホキ美術館の絵画はまさに「美術」、永青文庫での絵は「文化」という言葉が当てはまる気がする。よりフィットする言葉=漢字があればそれを知りたい。
 しかし、絵を描ける人が「羨ましい」のだ。