2015年10月7日水曜日

小説3冊

 10月4日((日)昼11時から横浜で飲んで歌って飲んでまた飲んで、21時頃に関内のホテルで爆睡。 翌日はさすがに体が酒を殆ど受け付けず、ビールを少々飲んだだけであとは歌いまくった。昼から飲んで歌うには横浜は環境が整っている。5日19時少し前に帰宅。

 最近は以前よりも小説を読むことが少なくなっている。頁を開かないままに放ってある小説を続けて読んだ。買ってしまったままになっている本の費消といった感も強い。実際のところはあれもやりたい、これもやりたいと、やりたいことのメニューが幾つかあって時間が足りない状況にある。取捨を上手にやれないし、怠惰癖もあるものだからこれからもこういう状態が続くとは思う。

 <ピエール・ルメートル 『その女アレックス』(文春文庫、2014年)>:『このミステリーがすごい!2015年版』の海外編」第1位だけあって秀作のミステリー。3部に分かれており、虐待-復讐-正義、と流れる。主人公はアレックスと警部カミーユで、カミーユは二人の個性的なルイとアルマンとで捜査にあたる。結末は鮮やか。
 気に入った台詞を二つ。一つはこころよく思っていない予審判事ヴィダールにカミーユが放つ言葉で、「考えたことを口にする勇気がない。口にしたことの意味を考える誠実さもない」(339頁)。二つ目はヴィダールが「まあ、真実、真実と言ったところで・・・・これが真実だとかそうでないとか、いったい誰が明言できるものやら! われわれにとって大事なのは、警部、真実ではなく正義ですよ。そうでしょう?」と言う(449頁)。この台詞は秀逸。この言葉の後に、「カミーユは微笑み、うなずいた」で”了”となる。
 最後の台詞に関連して、『岩波講座日本歴史 第15巻 近現代1』14頁より次の指摘を孫引きしておく。”歴史に「事実fact」も「真実truth」もない、ただ特定の視覚からの問題化による再構成された「現実reality」だけがある、と言う見方は、社会科学の中ではひとつの「共有の知」とされてきた。社会学にとってはもはや「常識」となっている社会構築主義(構成主義)social constructionismとも呼ばれるこの見方は、歴史学についても当てはまる”(上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社、1998年、12頁)。

 <乙川優三郎 『太陽は気を失う』(文藝春秋、2015年)>:人生の転換点にさしかかったとき、それまでの人生に思いを馳せ、これからの生き方にどう向き合うのか、それを描いた14編の短編集。大きなドラマがあるわけでも、感動的な悲喜劇が描かれているわけではなく、淡く静かに流れる時の中で自分を見つめている。人の迷い、そこから生じる小さな感情が、静謐な空気の中で端正に描かれる。乙川さんの小説を読むと、夕暮れ時に小さな波の海を何も語らずに眺め、そこに行き交う人がいればただ静かに見つめる、そんな落ち着いた心持ちになる。

 <田中慎弥 『宰相A』(新潮社、2015年)>:「宰相A」とは安倍晋三首相であり、著者はこの作品を首相のところにも送付したという。その行為も含めて、この小説は、政権、日本のシステム、日本に生きる人たちに対する、空想的・妄想的・パロディ小説であり、強烈な皮肉、揶揄がある。現政権の「暴走」や日本の「無思考性」、「積極的平和主義」、「アメリカの正義」等々をマジメに解説する本は沢山あるが、マジメな人たちはこの本のように皮肉っぽく、揶揄って語ることがもっとあっても良さそうな気がする。何となれば、現在の日本の動きそのものが喜劇的であるともいえるのだから。