2015年10月27日火曜日

雑記と小説一冊

 24日から那須にいて明日自宅に帰る予定。

 再審決定と懲役刑執行停止で二人の方が釈放された。テレビを見ていると、警察や検察が自白に基づいて検証実験をすべきであったと主張するコメンテータの声が多い。
 自供内容は「ガソリンを駐車場に流してライターで火をつけた」というもの。弁護側の主張は「自供通りでは駐車場にある風呂釜の種火で自然発火する」というもので、「自供内容と検証実験結果では矛盾がある」というものである。よってコメンテータは、警察あるいは検察が自供に基づく検証を実施していないことを批判する。しかし、もし警察(and/or検察?)が検証実験をしていれば、自供内容を「種火で発火することを予め予想していてガソリンをまいた」ということにして自白を強要していたかもしれない。もしそうなったならば、弁護側の反証はどのようなものになったであろうか。コメンテータの方々は「検証」を言うけれど、安易に「検証」を口に出してはいないだろうか。ふとそんな事を思った。・・・要は、自白のみに判断を委ねたことに問題があり、より深くは、そのシステムを生じさせている刑事訴訟/裁判システムに本質的な課題があると思うのだが。

 <中村文則 『去年の冬、きみと別れ』(幻冬舎、2013年)>:二人の女性を殺し死刑判決を受けている男に、ライターが面会するところから始まる。男の姉、人形師などが登場し、物語は錯綜する。ミステリーでもあろうが異様な人間どうしの異様な関係が展開し、狂気の愛が綴られる。内面を見つめ続けて愛を紡ぐとこういう狂気の世界になるのかと思う。愛の世界から美を見つめ、葛藤する…というような描写に関心は薄いし、魅力を感じないので、期待外れの一冊となった。