2015年10月11日日曜日

RWC決勝T進出ならず、芥川賞2作

 ついさっきまでサモアvsスコットランド戦ライブを観戦。勿論サモアの勝利を願うだけだったが33-36で敗退し、じゃぱんのベスト8進出の可能性は失せた。キックオフ直後から点数の取り合い。キックオフすれば互いに相手から点を取り激しい試合となった。前半14分で15-10、21分で20-13とサモアは先攻するが自陣でのディフェンスが悪く、ペナルティも多い。随分と荒っぽい試合になり、前半は26-23。どっちが勝利するかは全く解らない展開だったが、サモアは日本戦でも反則が多いのでそれが気になっていた。結局はそのペナルティの多さが敗因といっていいだろう。後半は終了間近のトライ以外はいいところがなく、モールやスクラムでも押されっぱなしでペナルティが多すぎた。
 じゃぱんはアメリカに勝利して欲しい。3勝して決勝Tに進出できなかったという新たな歴史を作って欲しい。

 ラグビー観戦のおおよそ6時間前には錦織が負けて決勝進出ならず。USAオープン1回戦敗戦の相手にまたもや敗退。第1セットを6-1で取っていたが、第2セットの最後のゲームでブレークされ、ファイナルの最初のサービスゲームにもブレークされ、この時点で決勝進出は難しいと感じたがその通りとなってしまった。次は上海マスターズ、第6シードで順調にいけば準決勝でフェデラーと当たる。結果はどうであれATP World Tour Finalsには出て欲しい。

 <又吉直樹 『火花』(文藝春秋2015年9月号特装版)>:「大地を震わす和太鼓の律動に」と陳腐な表現で始まる話題の芥川賞作品。主人公(徳永)と紙谷の間で繰り返されるパターンはいつまで続くのか、と途中で飽きてきた。今時の漫才に興味がなく、若い芸人の芸に若い人たちが何故面白がるのかその理由がオレには解らないし、そもそもこの小説の語り手である徳永が紙谷の弟子になるシーンも唐突であり理解しがたい。徳永や紙谷が目指す漫才の芸がどういうものなのか伝わってこない。それは多分、著者は直向きに漫才芸の何かを求めているのであろうが、その何かが描写されていないし、読書に伝えようとしていない。少なくともオレには解らなかった。登場する人物たちすべては、オレが過去から積み重ねてきた世界とは全く異なる世界である。漫才とは見聞きする側に対し、庶民のペーソスを表現し、それを通じて共感し安堵する場と時間の提供であろうと思っているし、また世の中の仕組みに対し笑いを媒介とする毒をもっていなければならないとも思っている-毒がないといわゆる”毒にも薬にもならない”ということになる。この小説での漫才とは何か、笑わせたいというのは何に立脚しているのかが描写されていないと感じた。要は、核がない、笑いや漫才の基層が描かれていないと思う。だから、同じように繰り返す描写に飽きてきた。

 <羽田圭介 『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋2015年9月号特装版)>:語り手は再就職活動中で、筋トレとオナニーにふける30歳近い健斗。彼は口の悪い母親、88歳の祖父と一緒に3LDKのマンションに住む。祖父は死にたいと繰り返し口にしているが内実は計算づくで周囲に甘えており、世話をする孫は祖父の死を叶えようと柔らかく気を遣い行動する。二人のやりとりは滑稽であるが、老齢介護の問題は現社会の抱える問題でもあるので、滑稽さの中に切実さをも感じさせる。『火花』は途中で飽きてきたが、こっちはそんなことはなく、一気に読んだ。文章もこなれていると思った。ただ、この小説に共感するものは一つもない。