2015年9月29日火曜日

本一冊

 <大津透ほか編 『岩波講座日本歴史 第15巻 近現代1』(岩波書店、2014年)>:読んだのは「月報4 「戦争体験」について」(赤澤史郎)、「月報4 「日本式共同体」」(文京洙)、「近現代史への招待」(吉田裕)、「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」(塩出浩之)、「官僚制と軍隊」(鈴木淳)
 「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」
 徳川政権下では「蝦夷地(蝦夷島・クリル諸島・樺太)・琉球(沖縄)・ボニン諸島(小笠原諸島)は周囲に位置した境界的な地域」であって、内地の大和人による植民地化が図られ、属領として統治された。三地域とも原住者は「国家や社会を築いていたにもかかわらず、明治維新直後に日本の領土拡張の対象」となったのであり、北海道・小笠原諸島については大和人の移住により植民地化された。ここで植民地と呼ぶ理由の一つは参院選挙法の除外地域に指定されたことに現れている。北海道では、アイヌが住民を占めているのではなく、内地出身の大和人と同質であり、彼らは「人智」「民力」が異なっている「沖縄県・小笠原諸島と同列に扱うべきではないとも主張し」た。ここにみえる論理は、「大和人入植者としての植民地主義と不可分だった」。「小笠原諸島の欧米系住民は日本国籍に編入されたうえで、移動民としての生活を容認され」たが、沖縄は琉球王国の復活を求め、本土政府によって「沖縄県庁を通じて支配植民地化が行われ」た。
 ここで、支配植民地とは、官僚機構の移動を伴う植民地を指し、ほかに、植民地は、ヒトの移動の移住植民地、カネの移動の投資植民地、軍隊の移動の軍事植民地に分類される。
 北海道・沖縄を見るとき、両者は日本国内ではあるが、「特殊性を有する一部として位置づけられきた」のであり、これは現代も意識の中で残っていると思う。何せ、つい最近まで北海道開発庁・沖縄開発庁があり、どちらも開発しなければならない地であったのだから。
 「官僚制と軍隊」
 政務においては帝大法科出身の官僚、陸軍は陸軍大学校出身の軍事官僚が中核に位置し、敗戦まで継続した。「多くの専門分野を含む巨大な官僚組織と陸軍は、法制知識や戦術という組織の目的遂行に最も基本的な知識を授ける機関の限られた出身者に組織を管理する役割を負わせ」、選抜は試験制度によりっており、結局は「評価する側も同じ教育を受けた人々となると、文化的背景を共有する狭い集団が主導権を握り、予想外の事態への対応を応力が低下し」て狭隘な視野の人間が国を主導することになる。専門分野においても「官僚制の主流との人的つながりを断たれ」、「例えば人事においても、制度的な権限を持たない実力者が存在するような独自の世界を形成していった」のである。

 安倍首相が 「誰もが家庭で職場で地域で、もっと活躍できる『1億総活躍社会』をつくる」として担当相をおくとした。ぱっと思ったのが「国家総動員」や「進め!一億火の玉だ」の戦前のスローガン。個々の人間を全部一括りにして一つの色、一つのベクトルにしようとする気色悪さを感じた。