2015年9月15日火曜日

掃除完了、テキスト『ポツダム宣言と軍国日本』

 4日から原則午前中だけの掃除を行ってきて、12日にやっと終わった。過去にない徹底的な掃除であった。浴室はユニットバスのパネルも外し、洗濯機は位置をずらして目に見えないところまですべてやり、それだけに時間がかかってしまった。故障してしまった便座はバルブが壊れており部品だけで2万円弱要すること、内部回路基板への腐食懸念もあることより結局新型商品に交換することとした。一番安価なところをwebで探し、交換の施工は自分で行った。掃除から始まった一連の作業はこれで終了。掃除をやっている間、外に出るウォーキングは一切やらなかった。でもウォーキング以上に汗は出た。
 水蒸気清掃してからオスモでワックスをかけた床は、いつもそうだが、裸足の足裏の感触がいい。ただし自室のごちゃごちゃ感は相変わらずである。ものを捨てれば良いのだが、なかなかできない。CDは増える一方だし、安価なスピーカーも増えているし、ウィスキーの瓶もそうだし、本はときどき捨てたり古本屋にもっていったり息子にあげたりしているのだが増えていることには変わりない。自室の物を他の部屋に移動することは家人から頑に拒否されているし・・・・。

 <古川隆久 『敗者の日本史20 ポツダム宣言と軍国日本』(吉川弘文館、2012年)>:日本の「指導者層の人々は」「統一的意思決定が困難な国家機構や、政治的な意味での自発性を欠き、狭い視野しかもたない国民を生んだ日本国家の体質を敗北の根本原因と考えていた」のだが、その具体像、原因、反省の戦後への影響を探る本である(プロローグ)。「天皇の軍隊」(建前上は天皇の私兵)となった軍隊は「国威発揚のための外征型軍隊」となり、外部からの干渉回避のために統帥権を独立させ、官僚組織もまた天皇のための存在となり、帝国憲法は形式上天皇に全権威を集中させ、実権は内閣と軍部が持ち、陸海軍はそれぞれの組織利害を両立させるためだけに計画を立案ししかも極秘とした(エピローグ)。そして敗戦=「軍国日本の自爆」となった。
 陸軍と陸軍幼年学校について簡単にまとめてみる。東京裁判での被告は28人おりそのうち陸海軍を出身母体とする者は18人、陸軍出身者は15人である。15人のうち11人が陸軍幼年学校を卒業している。伊藤・山県らは民意を嫌い近代日本の軍隊は「どちらかというと一般住民に対立する存在として出発し」、陸軍は「民権的な反政府思想に染まらない将校を陸軍の中心的存在とするために、有能な人材を幼少期から陸軍に取り組んでしまおう」と陸軍幼年学校を設立した。陸軍幼年学校-陸軍大学校卒業は陸軍のエリート軍人であるが、幼年時より純粋培養された将校は視野の狭い(「広い国際的視野や長期的展望」をもたない)将校が陸軍で出世して幹部になる。その先は敗戦であり、戦勝国の裁判で前記の如く被告になっている。絞首刑7名のうち文官である広田を除く6名は陸軍出身で、松井石根以外は全員が陸軍幼年学校-陸軍大学校出身である。このことからもこのエリート学校卒業者が「今次の戦争」において大きな存在であったことがわかる。
 大西洋戦争における海没者は40万人で、戦闘での戦死者は約46%、約44%は南方へ輸送される途中で輸送船が沈没させられて犠牲となった。ガダルカナル島などでの戦死者に多くの餓死者を出したことは広く知られている。そもそも各戦域での戦死者230万人のうち約6割の140万人は餓死であったと推定されている。彼等は何と戦って死んでしまったのだろうか。230万人は日中戦争以後の日本軍の戦病死者である。ちなみにアメリカ軍はヨーロッパ戦線や太平洋戦争の合計でも55万である。55万人を”55万人しか”と言うことは軽薄であるが、230万人はごく自然に”230万人も”と言ってしまう。ちなみに、メレヨン島では将校の死亡率は33%、兵士のそれは82%であった。兵士は軽視されていた。
 「戦争責任問題」と「敗戦責任を認めた陸軍」の項が立てられている。深くは言及されていないけれど、ここにあげられた史実から感じたことは、「戦争責任」あるいは「敗戦責任」にある「責任」の基底にあるものは何なのか自分にはよく理解できないということである。例えばその「責任」は負けてしまった事実への悔恨から発するものか、戦争を起こしてしまったことへの反省からくる責任なのか、天皇に対し負けてしまって申し訳ないというところから発する責任なのか、等々書けばきりがない。