2015年9月29日火曜日

我流の本の読み方

 最近、以前購入したままに殆ど頁を開いていない本を読み続けようとしている。まずは近現代史を中心としており、先の戦争を真ん中に置き、周縁を拡げるような形で読んでいる(読もうと努めている)。本に書かれていること何でも知ろうとすると挫折するのは目に見えているし、また発散してしまうので関心が薄いところは斜め読みして飛ばす。そして読後はノートを残している。最初は全頁に目を走らせ、以前よりそうしているように、鉛筆で(時には赤の鉛筆やボールペンで)線を引き、あるいは囲みを入れ、本を汚すことを厭わない。その後、線を引いた箇所や囲みのみに集中して再度読み返す。その際はPCに向かってエクセルに書き込んでいる。さらにその本を参考にするときは原則このエクセルに書いたノートしか見ないようにしている。以上は通教のリポート(あるいは卒論)作成時の参考文献を読むときから実施している。その時に作成したノートは今でも有効となることは少なくない。過去に読んだ本も手許に残している本には線を引き、囲みを入れているので、思い出して頁を開くときに少しは役にたっている。但し、時々書き込みをした自分の文字が読めないときがある。まあ、これはしようがない。何せ酒を飲みながら読んで書き込みメモを入れたこともあったのだから。
 小説などの類はそんなことはせず、単に読後感を短くメモしている。このメモは1982年から続けているので過去に何を読んだのか振り返ることができる。33年間の記録を見れば改めて自分の変化をも知ることができるし、もうちょっとまともな読み方ができなかったのかとの悔いも出てくる。データをいじることが好きなので、年毎や季節毎の読書量の推移、作家毎の読書量変化や読書時期の変化もグラフに現れる。ある時期に集中して読んでその後読むのをやめた作家、あるいは長期間読み続けている作家など、要は読書を通して自分を透かし見ている。自己満足の行為であることには間違いない。