2015年8月6日木曜日

雑記

 <井上雄彦 『バガボンド37』>:前巻を読んだのは2年前だったが記憶の中でストーリーは繋がった。

 <原泰久 『キングダム 三十八』>:秦王政は雍にて加冠の儀を執り行い、太后と関係を持っていた嫪毐は反乱を起こすところで次に続く。
 ここからは漫画と無関係な記述。始皇帝は紀元前3世紀に生き、さまざまな中央集権志向の政策を打ち出した。その一部が印象に残っている。i.e.,中央から地方に長官あるいは次官を送るのであるが、派遣に当たっては彼らの本籍地を回避し、一定期間の任期で交替させていた。これって現代の国会議員の世襲否定に繋がるであろう。もちろん、地方で力をつけて中央に抗うことを防止する意味はあったのであるが、血縁関係や権力・富裕層に癒着する人間の性癖を指摘していることをも意味し、古から変わらぬ社会の姿と、それを改革しようとした秦の時代の政策に普遍的意義を覚える。それに比べて今もこの国の国会議員は世襲を重ね、利権を求めて彼らに癒着し、群れては詭弁を弄している。

 <長谷川卓 『嶽神伝 孤猿(下)』>:超常的「影」が襲ってくるシーンだけは違和感を覚える。現実を題材にしておいてそこに非自然的材料で物語を組み込むことには好きになれない。SF小説や伝奇小説のように非日常的舞台を軸にしていれば何の違和感もなく楽しめるのであるが、唐突に超常現象を出してくるのはオレにはダメである。
 それを除けば上下2巻にわたる”無坂”が活躍するこの小説は楽しめた。長谷川卓の描く人物は何にも与せず媚ず、己の生き方を全うする姿勢が好きである。

 <佐伯泰英 『居眠り磐音江戸双紙49 意次ノ妄』>:作者あとがきによれば来年正月に50巻と51巻を同時に出してこのシリーズは完結する。この49巻も偉大なるマンネリというか、いつもの登場人物がいつもと変わらぬ設定でいつもと同じ傾向の台詞を口にして、正直倦きているのだがあと2巻で終わるというのだから最後までつき合おう。

  <安田浩一 『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』>:新大久保での差別デモの最中、たまたま現場に遭遇した右翼組織のメンバーが「朝鮮人って言葉を使わずに愛国を語ってみろよ」とデモ隊に叫んでいたとの描写がある(206頁)。本質を突き刺す鋭い言葉である。著者同様に同感する。右翼に対し全面的共感を持ってはいないが、「人間の理性を懐疑し、風雪に耐えて生き延びてきた伝統や文化、歴史に身を委ねる、その生き方に対しては一定の敬意を持っている」(66頁)ことは私も同様である。
 以前ある企業に勤めていた頃、所属する部の運営に関しあるマネージャーと頻繁に会議や打ち合わせを持っていた。人格的には穏やかな人物であったが、業務遂行においては思い込みが強く、間違っていても主張を押し通そうとする性癖があり、面倒な人であった。周囲は説得をし、間違いを正そうと努めるのであるが徒労となることも多かった。思考することにおいては底が浅く、理よりも情を大事にする人であったが、こういう人と交渉をするとホントに疲れた。理屈が通ぜず、時に罵声を浴びせても一向にめげることはなく、「強い」のである。結局のところ、こちらが主導する立場にあるときは彼を除外することにもなる。そうすると何も理解していない上司はそれについてクレームをつけてきれい事を言う。・・・ホントに面倒なものである。

 国会議員の暴言があれば、昨日(8/5)朝日新聞朝刊には本社特別編集委員の、ツイッターにおける裏付けのない投稿、許可のない写真掲載に関しお詫び記事があった。政治もジャーナリストも質が落ちてきているのか。共通するのはパターナリズムである。選ばれた存在である国会議員(というより議員という就活に成功した人)、社会を鳥瞰して記事を書く新聞記者、彼らの中にはいつのまにか社会や人びとを見下ろして己の判断が正しいという思い込みが出てくるのであろう。
 「権力は腐敗するのではない、腐敗するのが権力だ」(佐高信?)、「群れたら腐る」(『突破者の条件』)。