2023年6月6日火曜日

万年筆、新書一冊

 万年筆の回想;
 アルバムの中に“高3の5月”とメモされた一枚の写真がある。学生服の5人が横並びに立ち、教室橫の外で撮ったもので、今も親しくしているKYやSJもいる。私の学生服の左胸ポケットには1本の万年筆が差されていて、おそらくこの万年筆はパイロットのキャップレス。この頃の筆記具の中心は万年筆で、当時の日記もブルーブラックの万年筆で書かれている。高校時代はプラチナも愛用していた。
 大学入学を決めた55年前の春、今は亡き友人BKの若松の家に立ち寄ったとき、彼の母が「これは合格祝い、うちの息子は卒業祝い」と言って万年筆をプレゼントしてくれた。シェーファーだったような記憶がある。彼女の息子はその後3浪を重ねた後での合格祝いに何をプレゼントしてもらったのかは分からない。その万年筆はいつまで使用していたのだろうか。
 会社勤めをしてからの主体はシャープペンシルに移った。日記は万年筆、仕事上はシャープペンシルと使い分け、設計図を描くのが仕事だったので必然的にステッドラーのシャープペンシルを離せなくなっていた。仕事を離れれば万年筆をメインとしていた。
 最初の会社を辞めるにあたり、同じ設計部署で親しくさせてもらっていた2歳上の先輩岩上さんが、社内にあった売店で万年筆を購入して退職記念にくださった。パイロットのエリートでその万年筆は今も使っている。岩上さんは50代で亡くなってしまったが、この万年筆は45年間もまだ現役でいる。駐車場で落としてしまい車に轢かれて凹みがあるが愛着があって棄てられない。
 その後定年退職するまで、会議や打ち合わせのときのメモはずっと万年筆で書いていた。殆どの人がシャープペンシルやボールペンであったので、万年筆を使用していることが少しばかり目立ち、それを何回か指摘されたこともあった。万年筆の中でも高価格であるモンブランをプレゼントしてくれたのは連れ合いで、ケースも一緒だった。池袋のデパートで購入した(ような気がする)。このモンブランは30年以上、40年間近く使用していたが、先日インク漏れがひどく、またパーツにガタがきていたのでとうとう棄てた。そしてScriveinerを新たに買い求めた。滑かなペン運びでお気に入りとなった。
 雑誌『サライ』で万年筆が付録になると好奇心なままに何回か買い求めた。誕生日には息子からプラチナ万年筆を頂戴した。これは不注意でペン先を変形させてしまいもう手許にはない。申し訳ないので新たに買い求めた。
 手許に残っているインクカートリッジはモンブラン、ペリカン、セーラー、パイロット、プラチナ、欧州共通規格とバライティーに富んでいる(発散している)。愛着ある何本かの万年筆は部屋ごと場所ごとに分散して置き使い分けている。今、高校時代を思い出してキャップレスの万年筆も欲しくなってきている。手書きすることがあまりないので若かり頃と違って万年筆の必要性は薄れているのだが、好きなものへの関心は薄れることがない。後期高齢者の域に一歩手前となっている身としてはこういうささやかな遊びもあっていいだろう(と自分に向かって弁解する)。

 <永嶺超輝 『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書、2007年)>:16年間で31刷を重ねているから、厳つい裁判官/判事が愚かな犯罪者/被疑者にどのような薀蓄をたれるのか、そんな面白さを求め、揶揄するような気持ちはいつの世も変わらないのであろう。一般的には両者も在来(ありきたり)の範疇からはちょいと外れているというか、分布の3σ/2σの域外にあるとの感は拭えない。

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