2023年9月23日土曜日

雑記、文庫本2冊

 BM(Big Motor)が連日ニュースサイトに出ている。BM、思い出すのはベンチマーク、某企業に勤めていた頃はBMと称していた。基準点・水準点としての反語的な意味合いでBig MotorはベンチマークのBMとして活用できるかも。

 ジャニーズ。BBCが問題にして世界に発信してから日本国内でニュースになる。いろんな意味での日本の文化を思い知る。端的な言い方をすると、日本という組織の集団浅慮というものなのであろう。
 相似的な事象は幾らでも見つけることが出来る。

 Bloggerでブログを作っているが、突如ヘッダー画像が表示されなくなった。二つのブログの一つだけに不具合が出て、現象はPCには無関係に出る。正常なものと不具合がでるものを比較し、不具合のある箇所は解明した。が、それが何故なのかは分からない。正常な方のヘッダー画像URLを貼り付けると画像は表示されるが、表示画像をPCからアップロードすると不具合が繰り返され、結局は画像変更ができない。ということで二つのブログのヘッダー画像を同じものとするしか今は方法がない。どうも不具合はBloggerとGoogleそのものにあるようなのだが解決手段が分からない。

 <森達也 『虐殺のスイッチ』(ちくま文庫、2023年/初刊2018年加筆修正)>:主題は「なぜ人は優しいままで人を大量に殺せるのか」、そして、「凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺せるのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ」、そう思う。残虐性は誰もが内在させて普通は表に出ないだけである。
 「記憶する力が絶望的なほどに弱」く、「むしろ忌避して」いて、「過去に自分たちがアジアに対して加害した歴史を躍起になって否定しようと」し、関東大震災の時の朝鮮人虐殺(間違えられた日本人も含む)に対して虐殺した記録がないと虚言を口にする政治家。匿名でねじ曲がった正義を主張し、「私」ではなく「我々」を主語にする人たち。そういった中で自分はどうあるべきかと考えるしかない現実はやはり絶望的な状況である。勤めていたときにも何度か感じた、組織化=集団化すると、人は思考停止=集団浅慮に陥り、個を喪失してしまう。愚か。

 <奥野克巳 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(新潮文庫、2023/初刊2018年)>:ボルネオに居住する狩猟採集民プナン。当所原始社会の中でいわゆる文明の利器もない暮らしをする民と予想していたが、そんなことはない学校がある(行かない)、車もある(免許はない)、スマホもある(エロ動画を見る)。しかし、反省や謝罪、負債の概念がない。自然のなかで存在をそのままに受容し生きている。こういう世界があることに驚く。何が幸福か、幸福とは何か、なんて思いを巡らすこと自体がないのであろう。翻って現代社会に目を向けるとなにもかもも意味をなさない、価値のない、人間の愚かな行動だとも思える。

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