2022年4月18日月曜日

雑記、敗戦後の本2冊

 ほぼ毎朝乗っている体重計のスイッチ一つが機能しない。通常は機能しなくとも他のスイッチでカバーできるのであるが、齢が一つ重なったために登録年齢を変更しようにもそれができない。
 タクトスイッチをプッシュするヒンジ部の不具合あるいは導電性ゴムの接触不良かと見当をつけてばらしてみたら案の定ヒンジのアーム部不具合。プラスティックの弾性を利用したアームの支点部分がへたれてしまい破損していた。しかも3個あるアームでこの不具合があった箇所だけが他の部分と形状が微妙に異なっている。何故なのかは分からないが、端的に言って設計ミス・品質確認ミス。別の箇所のタクトスイッチ部は上手い構造となっていただけに設計のアンバランスを感じた。
 ピンセットを使ってスイッチを押せるように穴をあけ、通常は見えないように体裁を整え、新品に買い換えることなく継続使用することとした。

 娘の長女がコロナに罹った。家族の中でもっとも外出をしない子なので娘も意外だったようだ。罹患が判明した翌日には解熱剤も服用しなくなり、その孫が言うにはインフルエンザより楽だとのこと。しかし、10日間は外出禁止の生活となり、中学生になったばかりで残念な日が続く。本人はいたって元気のようであるが。

 <伊東祐吏 『戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか』(平凡社、2010年)>:帯びに「『敗戦後論』を超えて」とある。16年前に加藤典洋『敗戦後論』、それに反論した'高橋哲哉『'戦後責任論』、両者の主張を読みふけった。本書はその『敗戦後論』を中心において日本人の「当事者意識」を問う。が、あくまで一般大衆も含めた「日本人」のそれではなく、知識人・文化人の「当事者意識」である。肯きながら、あるいは疑問も感じ、それらを頁の余白部分にたくさん書き入れながら読んだ。

 <浜日出夫編 『戦後日本における市民意識の形成 戦争体験の世代間継承』(慶応義塾大学出版会、2008年)>:「叢書 21COE-CCC 多文化世界における市民意識の動態」シリーズの31冊目。何の参考にもならなかった。表層をなぞって少しだけ皮を剥いでみただけという感が強い。タイトルに惹かれてそこそこの費用を出して後悔するという悪しきパターンだった。

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