2018年4月21日土曜日

「維れ新たなり」のテキスト

 <苅部直 『「維新革命」への道 「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書、2017年)>:この本の目的は19世紀の日本における思想の歴史。江戸末期の思想家の著作が紹介され、そこからは尊王攘夷活動など幕末政治活動の基底に流れていた思想を捉えることが出来る。己の知識のなさ、理解不足を最も突かれたのは山片蟠桃に関すること。『夢の代』で無鬼論を主張し、地動説を指示し、記紀を批判し、五行説否定等々の山片蟠桃に斬新さを覚えた。
 身分差をおかず、会読重視の私塾の存在など、民間の知的欲求は高かった。一方、明治期からの日本に基層として存在する會澤正志斎や藤田東湖の思想、「國體」、「王土王民」にはやはり抵抗を覚える。民衆不在で「維れ新たなり」と進められた明治維新は、西洋化=近代化を図りながら精神的には「復古」するという矛盾の下、西洋文明の移植に民衆は新政府の権威を感じ取り、忠孝精神に漬っていった。今の日本は、もしかしたら第2明治革命を待っていた知識人たちの期待がまだあって明治初期の維新状態が続いているとも思える。
 ハンチントンによれば、世界には7から8の文明があるという。それは、西洋・儒学・日本・イスラーム・ヒンドゥー・スラブ・ラテン・アメリカ、プラスしてアフリカだという。注目すべきは、文明で括られた区域とは違って日本だけが一国家として捉えられていること。ハンチントンの主張は、日本(国)をユニークな、他の地域文明と混じり合わない独立した(あるいは孤立した)文明と捉えたうえでの主張と思える。それは、例えば、広がりを見せない日本の#MeToo、個人の自律性が喪失されている忖度、日本の美徳と言われることのある融通無碍、非論理性の国会答弁、謝罪を知らないハレンチ言動などなどに見られるのではないか。
 人びとがこの独立性(孤立性)に誇り(優位性)を持つのか、偏狭さ(違和感)を感じ取るのかは、その人の思想的志向性の標識でもある。
 いろいろな思想家の著作を説明しており己の知識のなさを知らしめてくれるのであるが、一方ではそれが長すぎて読むのに努力するところもあった。何にしても日本の思想を語るときは天皇抜きで成されることはない。

0 件のコメント: