2018年4月23日月曜日

小関智弘さんの本

 <小関智弘 『どっこい大田の工匠たち 町工場の最前線』(現代書館、2013年)>:35年前に新宿/紀伊國屋書店の機械専門のコーナーで、機械設計に関する本を眺めていたときに『粋な旋盤工』を見つけ、この小説が場違いなコーナーに並べられていることに気づき、小説のコーナーに行ってもなかったことから書店のミスを少し嗤った。そして次が銀座かどこかの百貨店内の書店で『羽田裏地図』を見つけて嬉しくなったことを覚えている。何故なら、当時よく行っていた書店に小関さんの著作を見つけることはなかったからである。
 権威ある文学賞の候補になった『春は鉄までが匂った』の選考で、重鎮である作家が「鉄が匂うわけがないだろう」と受賞に反対したと知り、その作家を蔑んだ。鉄を削っているときの熱した匂い、切削油の焼ける匂いなどは工場で生きている人たちの息吹である。サラリーマン時代は現場に行くことが好きだったこともあり、その匂いを感じると落ち着く気持ちになったものである。
 小関さんの本が出る度に買い求めては引き込まれて読んだ(今回は4~5年もほったらかしだったが)。ものを作る喜びを知っている人たちが好きであるし、机上で屁理屈を並べ、もの作りの現場や人たちを下に見る人は嫌い。手に触れて素材や加工品の冷たさや暖かみを感じることが大切だと思う。そして、この本で描かれる職人さんたちの類い希な技術や仕事への誇りは、彼らの、人生の謙虚さに繋がっている。
 直接ものを加工することはなく、その手前の設計図面を描くことから始まったサラリーマン人生の中で、仕事として初めて描いた図面が部品になったときの感激は-単純なブラケットであったが-今でも忘れることがない。その後図面一枚でもとんでもない高価な部品図を書いたときや、複雑な形状の部品図を書いたときは緊張感や不安感を何度も強いられはしたが、やはり熔接のビードが綺麗な板金や、大きな鋳物、重さと輝きを感じる機械加工部品にはいいようのない愛着を感じたものである。小関さんの著作はいつもそのような、今はもう為すこともない過ぎた空間と時間を思い出させてくれる。そして、この国から物作りの喜びを知る人が少なくなることを悲観的に眺めている今がある。

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