先日、BSにて会津若松を舞台とした1962年の映画「春の山脈」(鰐淵晴子・十朱幸代が出演)を観た。63~64年前の市内や東山温泉の情景が流れ、二つの写真と相俟って中学から高校にかけての自分の姿がモノクロになって脳裏に浮かんできた。
<飛田良文 『明治生まれの日本語 (4版)』(2024年、角川ソフィア文庫)>:言葉は活きている。明治になって新しい概念が輸入され、新たなる日本語が考え出された。その新たな言葉がいつどのように作られたのか解かれる。それはそれで楽しめるのであるが、不満も残る。それは人々が実生活の中でどのように語られ、或いは書かれたのか、端的に言えば実生活での乾きや湿り気のような空気を感じ取ることが出来ないからであろう。「電信」が広まってきた頃、事実なのか否かはさておき、風呂敷包みを電線にぶら下げて送ろうとしたという逸話があった。こういうことにこそ「電信」の言葉が活きてくる気がする。また、例えば「哲学」という言葉について言えば、西周がこの訳語を生み出すまでに至った経緯や思考などを知りたいと思う。
<古処誠二 『いくさの底』(角川文庫、2023年/初刊2017年)>:日本軍がビルマに進展していた頃―多分1943年頃、ビルマ北部の小村において警備隊を将いる賀川少尉が着任直後に殺される。日本軍・重慶軍・村のリーダーと人々たちが構成する村で賀川少尉を誰が何故殺したのか探索が始まる。そして続いて村長も惨殺される。
頁を開くと最初に書かれている文章は「そうです。賀川少尉を殺したのはわたしです。(中略)二度と訪れない好機が巡ってきて、それでも行動を起こさずにいられるものでしょうか」。「わたし」とは誰で、「好機」とは何を意味するのか。「行動」を起こす動機は何なのか、最後にはすべて明かされる。戦場における「わたし」の置かれた状況、重慶軍と日本軍の傘の下で生活しなければいけない村の状況、殺人の背景、これらの全てが戦という鍋の深みにある「いくさの底」である。そして事件解明後の展開もまた「いくさの底」からの新たな展開を生じさせている。
特異な状況下における卓れたミステリーを楽しめた。
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