2025年11月20日木曜日

6年ぶりの新宿、漫画と時代小説

 19日にISaと新宿で飲む。新宿は2019年5月以来で6年ぶり。ということは大宮から先の電車に乗るのも6年ぶり。湘南新宿ラインは混んでいてずっと立ちっぱなしで、新宿駅では雑踏に懐かしさを覚え、そして西口出口で外に出るまでは案内表示を確認しながら歩いた。駅内と外は再開発に関連しての工事中であった。
 リニューアルされた飲食店チェーンでの会計は予想よりも高額で、世の中の物価上昇や飲食代高騰を改めて身に知らされた。リニューアルされたといっても以前の店内雰囲気との大きな違いは認められなかった。
 続けてカラオケに入る。受付の若い女性の名札の漢字読みに興味を覚え、失礼を断ってから読み方を尋ねたら「答えなきゃいけませんか」と冷たく返された。客との間で不愉快な思いをしたことがあるのか、カスハラでも受けたことがあったのかと想像したが、ならばネームプレートをしなければよいのにとも思う。最近はそのネームプレートをしないところも増えてきているらしいが、それも時代の流れであろう。ちなみに、富山は「とやま」なのか「とみやま」なのか「とみさん」なのか、三橋は「みはし」なのか「みつはし」なのか、菅家は「すがや」なのか「かんけ」なのか、そのような類いのことである。確かに受付のその女性に尋ねることではなかったと反省。でも何か世の中の空気が張り詰めているとも感じる。

 <手塚治虫 『日本発狂』(秋田書店怪奇ロマンブックス、2025年/初刊1999年)>:新聞での広告、書名から現日本への文明批評・文化批評のメッセージを感じ取れるかもしれないと購入したが、発送された本の表紙を見たら既視感がある。読書録を振り返ったら同じ秋田書店の文庫で28年前(1997年)に読んでいた。そして、メッセージを感じようとしたが何も感じ取れなかった。無理矢理こじつければあるのかもしれないが、穿ることはできなかった。

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