レントゲンを撮り、8月のレントゲン写真と比較し、問診と症状から下された結果は歯の捻挫であろう、このまま放っておいて1週間後にも痛みがあるなら再度連絡してくださいとのことだった。歯の捻挫とは初めて聞いた。医師の話を聞いて納得した。そして、2日後に正常には戻った。
<清水克彦 『知って得する、すごい法則77』(中公新書ラクレ、2025年)>:本書は40~50代の管理職への指針として著されたものであり、とっくの昔に仕事を離れた自分にとっては単に自分の経験を振り返り、と同時に何か新しい「法則」にでも気付かされるのかと思い手に取って読んだ。結果、何も真新しいことに気付くことはなく、これらの「法則」に首肯するばかりで、また、自分の過去の事例を思い出したりして楽しんだ。
「ハインリッヒの法則」では、ちょっとしたうっかりミスは大きな不具合に繋がることはまずないので、自分の中だけで処理すれば良いという逆説的なことは言えるし、ミーティングなどで物事を進めるときは間違っていても良いから何かを言うことから始るという「マクドナルド理論」に繋がることは何度も経験した。特に覚えているのは、設計ミスを減じたいときは「限界効用逓減の法則」のようなことを頭に置いていた。すなわち、ミスが多ければ努力に応じてミスは減るが、ミスが限界近くまで少なくなったときは努力に対してのミス改善の効果は薄れる。よってそのような域に達したならば、ミスを減らそうと時間をかけずに、問題解決すなわち問題をクローズさせることに時間を割くべきと考えていた。要は対数曲線にて横軸に努力を縦軸に不具合量をおけば努力vs効果のほどが分かる。だから、設計ミス撲滅、設計ミスゼロ化と力説する方針は正直なところ愚かだと思っていた。
ある製品の開発過程の終盤に不具合が生じたとき、対策会議が拡大されて関連部署の部長やらが会議に出てきてはあれやあれこれやれと色々と好き勝手なことを言っては仕事を増やし、タスクフォースやらも組み込まれたのだが、そこで出される方向性は往々にして間違っていることが多いとも感じていた。だからその拡大会議で出された方針を無視し、優秀な部下二人とともに対策を進めたときは反発もかなり浴びたが結果的にはそれでスケジュールを遅延させることなく進めることが出来た。その拡大なんとかやらを無視したとき、ある上司(上司の上司)が背中を押してくれたことは今でも懐かしい想い出である。以上は「ブルックスの法則」の典型例であろう。因にその上司は役員にも地位を高めたのだが、最後には役員の中で浮いたようだった。組織の力学とはそんなものかと落胆したことを覚えている。
あと、「ピーターの法則」(無能な管理者)の事例は少なからず眼にしている。
<塩田武士 『踊りつかれて』(文藝春秋、2025年)>:SNSでの誹謗中傷した者たちへの宣戦布告。83人の名前・年齢・住所・学校・職場等々の故人情報をブログにさらけ出し、83人の人生を破壊していく。それは誹謗中傷虚偽捏造によって社会から抹殺された二人(天童と美月)の苦しみを投稿者に味わわせるものだった。さらけ出した「枯葉」こと瀬尾が名誉毀損罪で告発され、弁護士久代奏が瀬尾の弁護人となり、彼女が中心となって天童・美月・瀬尾たちの人生を明らかにしていく。
兵庫県会議員の自殺、女子プロレスラーの自殺などSNSの発信に起因する現実のニュースはどうにもやりきれない。SNSを見ることはしないので、それらの誹謗中傷、自分勝手な狭隘な正義はニュースでのみ知る。そもそも素性の分からない匿名のSNSを読んでそれを拡散する人たちの行動が理解できない。結局は、自分を見つめる能力がないが故に己の能力(正義感)を過大評価し、思い込みや先入観で判断してSNSに匿名で書き連ねているのだろう。また、耳目を集めることで満足感を得ているのだろう。SNSで拡散して経済的利益を得ることにも結びついているのだろう。
本書に返れば、読んでいて個々の人たちの過去の人生を描き続けることに少しばかり倦厭気味になりかけるところもあった。しかし、作者の綿密な構成、細密な描写には奥深い筆力を感じる。
アンドレ・ギャリソンの曲、菅原都々子の「踊りつかれて」などはYouTubeで聴いた。板東千寿子の「声」はアップされていないようであるー実在の歌手/歌なのか、架空の歌手/歌なのか確認できない。それよりも何よりも無い物ねだりで美月の歌を聴きたい。
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