『路傍のフジイ』全6巻も段ボールの中に入れていたが、もうすぐ高校2年になる孫娘が家に寄ったときにあげた。つまらなかったらブックオフにでも売り飛ばしてかまわないとの但し言葉を付けて。
<乙川優三郎 『潜熱』(徳間書店、2022年)>:畳屋の息子の相良、母子家庭の大場、寺の跡取り息子の保科だけは住職になるべく大学に通う。高校を卒業してアルバイトで稼ぎ、相良と大庭は信州を離れて東京に出る。大庭は役者になることを目標とし、相良はコピーライターを目指す。
物語は相良を軸としていて、彼はコピーライター→作詞家→小説家となり、仕事の成功とともに扱う文章は拡がっていく。ロッティと結婚をし、美しい娘ジェニィが生れる。相良の人生は淡々と描かれるが彼女たちはやがてアメリカに移り住んでしまう。物を書くことへの相良の探求は深まり続け、保科は亡くなり、彼を弔うために信州に足を運んで、若き頃に通っていたプラザから歩き帰る夜の静寂な道で「不意にある情景が目の前に浮か」び「これから書く小説の場面を先に見ているような感覚に陥り、しかも心情まで見えてきて」「自信して歩き」「忘れていた言葉たちが快いざわめきを醸しながらついてくる。 ・・・・・」。そして頁は閉じられる。
大庭と同棲していた陽子との会話が、否、陽子そのものが魅力的に描写されている。しかし、この小説に物足りなさも感じた。それは「酒と女性と言葉に淫し」た相良の、その淫した描き方が浅く薄い感じがする。酒に淫した相良の内面に棘が深く刺さっていないし、女性に淫したというにはもっとドロドロした溺れるような、或は乾ききった淫しかたが深みのある文章になっていないと思った。ロッティと離れる経緯も余りにもあっさりとしているのではないかと違和感を覚えた。また、大庭が県知事になったという設定は乱暴で安易な設定とも感じた。なれど、乙川さんの小説は主人公の内面描写と、主人公の目から見る人の所作とその心の有り様の絡みには何時もながら嵌まり込んでしまう。
自分は理工学部経由で機械製品設計に従事していたせいなのか、「潜熱」というと熱の塊が赤く溶解していく様とか、熱くなった機械部品とかのイメージが頭に浮かんでいて、ために書名の『潜熱』に些か違和感を覚えていた。改めて辞書で引くと「内にひそんで表面に出ない熱」(『新明解国語辞典』)とあった。なる程、この小説にぴったりだと得心した次第-単に自分の語彙力&感性力不足だが-。
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