2020年6月12日金曜日

長髪化断念、特別定額給付金、文庫本3冊

 伸びた髪がうっとうしくなり、若い頃に回帰せんとした長髪化は断念した。今年初めての、約半年ぶりに散髪をする。髪を切ってくれる人のマスク姿は何ら違和感はないが、鏡に映り、はさみを入れられている自分のマスク顔にはやはり違和感よりも異常の空気を感じ取ってしまう。
 深夜、特別定額給付金が振り込まれた。振り込まれたことを知らせる、ゆうちょ銀行のスマホ通知音がこうるさい。10万円/人で助かる人・家族、一方ではボーナスとしか感じない人たちもいるわけで、ある種の不条理な世の仕組みを覚える。

 <山本巧次 『留萌本線、最後の事件 トンネルの向こうは真っ白』(ハヤカワ文庫、2020年)>:存続が困難とされている留萌本線であって、最早廃線は不可避であろうからと「最後」が書名に付けられているのだろう。廃線反対を訴えるために峠下トンネルの中に車両を止めてハイジャック。かつて鉄道を利用した炭砿などへの郷愁を感じさせられるところはあるし、犯人たちと道警のやりとりはそこそこ面白かった。しかし、若い女性ふたりの軽さや、私欲で権力を使う代議士、癌に罹っている犯人などの設定に安易さを感じる。
 初めての、名も知らなかった作家で、期待を抱いていたが、西村京太郎的作風と捉えた。

 <都築響一 『独居老人スタイル』(ちくま文庫、2019年/初刊1913年)>:ここに登場する独居老人たちはいずれも「我が道」を確実に持っていて-故に中には奇人変人と呼称される人もいるが-、色気があって依怙地(意気地)であって、この世はこんなものさとの諦観を秘めている。著者は現在60代であって、70歳になるころの自分を「ご近所からはなんとなく不審な目で見られ、金銭的にもラクにならず、本人だけはハッピーだと思っている」と確信に近い予測を行っている。そこで71歳になっている(独居ではない)老人である自分がこのような本を読んでいることに何かしら気恥ずかしい場違いな気持ちになっている。本書に書かれる老人は確かに独居ではあるけれど、「独居」というのは独り居することではなく、どこにも寄生することなくまた他に追従することなく、独りとしての生き方を探し続けることであるはずだ。

 <井上ひさし 『十二人の手紙』(中公文庫、2009年/初刊1978年)>:なんとまあ、井上ひさしの本は23年振りのこと。そして本書の初出は1977~78年のことだからもちろん時代的古さはある。その頃の自分は転職(正しくは転社)活動真っ最中で、長女が連れ合いのお腹の中にいた20代後半であり、たった42年前という時間経過であり、現在と当時との時代の隔たりは然程感じないで読んだ。それよりも上手い連作集であると感じ入るばかりで、特に「玉の輿」で書かれる通信文の多くが書物からの引用であることに著者の洒落気というかイタズラ心というか、エヘヘとほくそえむ著者の出っ歯で眼鏡の顔が浮かんできた。楽しめる。
 携帯電話もない時代、手紙が主流だった時代が懐かしい。相手に伝えるべき言葉・文章を何度も考え、受け取った手紙の行間から相手の意図や気持ちを読み取り、自分の表現力の低さにため息をついていた頃、今よりはまだ言葉の重みがあった。スタンプで置き換えられるか、短い文章でチャッチャと済まされる現代において、便利さと共に失ってしまったことはとても大きいと感じる。当時多くの人が持っていて今は失ってしまったもの、そして当時持っておらず今得ているもの、それらは個々人の意思伝達システムという側面ではバランスがとれていないと感じる。

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