2022年5月15日日曜日

妻と毒、EWI、本2冊

 ある老夫婦が病院に行き、夫が書類を書く際に妻の続柄のところに「妻」ではなく「毒」と書いていたと当事者の妻が新聞に投書していた。なるほど、女は妻となり、母となり、その先は毒になるのかと面白く、かつ妙に納得した。我が連れ合いを思って面白く思ったわけではなく、あくまで世間一般からの感情であることは断っておく。
 妻と毒の字源を調べたら、妻は髪に三本の簪を加えて髪飾りを整えた婦人をいうとある。その髪飾りが特に繁多であることが毒である。毒々しい厚化粧や不必要に着飾った衣装の意味に得心する。
 娘の中学生になったばかりの長女にこれを話したら納得した表情で肯いていた。特に女→妻→母→毒の流れが面白かったようである。体験的に理解できるのかもしれない、と言ったら娘に失礼か。

 今年になって読書量が激減している。以前はそれなりの時間を読書に向けていたが、今は毎日EWIの練習や楽譜の入手、楽譜へのフィンガリング図追加などに割いている。上達速度がとても遅いが、否上達しているのか疑問であるが、気に入った楽譜を手に入れては上手に演奏できる姿を妄想している。曲を絞って練習せねばと思うのだがなかなかそうはならず、ギターが上達しなかった過去と同じ行動パターンを繰り返している。

 <森崎和江 『まっくら-女坑夫からの聞き書き』(岩波文庫、2021年/初刊:1961年-再刊:1970年-増補再刊:1977年)>:明治後期から昭和初期まで九州の炭坑坑内で働いた女性の聞き書き。劣悪な労働環境で働かざるを得なかった女性の語りに世の中の不条理を思う。炭坑で財をなした人たちは末端の彼女あるいは彼女の夫や家族たちの生活実態をどれほど認識していたのであろうか。国が、企業が、そして一般大衆が石炭によって利を得ていることと天秤にかけるように一方では重い負があったことは忘れてはならない。陽があれば陰がある、その差を埋めることが文明の発展、文化の醸成なのであろうと思う。

 <砂川文次 『ブラックボックス』(文藝春秋3月号、2022年)>:第166回芥川賞受賞作。次第に退屈になり、キレやすいサクマの生き方は何なのさと距離をおいて冷やかになる。人生に落後した若い男の内面や生き様を鋭く描写していていてもだから何なの、と感じてしまう。サクマが、サクマは、といった文章がしつこくて嫌になってくるし、自転車に関する描写も自転車に興味がない自分にはそれこそ蛇足のように感じてしまう。単に描写する力量があってそれを披露しているだけの小説。ここ数年あまり読んではいないが、又吉の受賞作あたりから芥川賞はツマラナイという感覚がある。それは単に小説に向かう自分の好みと小説に求める姿勢によるものでしかないのだが。

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