本人が面白がっているのでそれでよし。頼まれればアシストはするが、こちらから口出しは一切しないことにしている。
自分はというと、毎日が何の変哲もない日々。変化があるとすれば、EWIを練習してカラオケ演奏して録音する曲が少しずつ増えていること。以前より量はかなり減ったが本は読み続けていること。料理を面白がっていること-レシピがないと作れないことは相変わらずだが。
鉱山を中心としたもう一つのブログ、終わらせようとする気持ちはあれどまたまたサボリ状態に入っている。下書きを少し書いては放ってしまう、この繰り返し。
<ジュンパ=ラヒリ 『思い出すこと』(新潮クレストブックス、2023年)>:新鮮でいて不思議な世界をも感じ、そして作者の才能の深さに感じ入った。作家として序文を記し、詩人としての物語に入り込み、同時に研究者(批評家)として俯瞰する。自分自身の過去を(間接的には現在を)語る方法にこのような手段-詩という形はとらわれなくとも-があることに気づかせてくれた。自分自身への距離の取り方、視点の高さ、視座をどのように置くのか、物語そのものよりも物語をどう構成するのかということに発見があった。
<赤松利市 『隅田川心中』(双葉文庫、2024年/初刊2021年)>:帯と裏表紙からの引用;「シニア世代の暴走恋愛小説」、「生々しく描いた傑作性愛小説」。
愚かな64歳の男と、怠惰な父親に生活費を弄ばれる貧相な肉体の女と、反社会の中で己を誇示する非合法的存在の男と、・・・要は現実的には自分とは異質な世界の中で生きている人たちの物語。不快感の残る物語の世界。放っておかれた魚の腐りかけた臭い、汚れたゴミが風に吹かれている通りを歩く清潔感に欠ける男と女、そのような印象が強いのは著者の作品から受ける共通した感覚。もう読まないことにする。