2025年2月17日月曜日

サブモニター不具合、早稲田ラグビー新体制、本2冊

 1Fで使用しているPCのサブモニターの不調が続いていた。画面下部がちらつく、時には全画面に激しいノイズが入っているかのようにちらつく。HDMIコネクターを少し動かしたりすると直る場合があるが長続きしない。HDMI端子部のぐらつきかと捉え、廃棄覚悟でモニターをバラして基板上の端子部を半田付けしようと考えた。モニター前面に接着されているフレームをこじって取り外し、基板を露出して取り外してもHDMI端子部にぐらつきはない。何をしてよいのか分からず、該端子部に取敢えずハンダを盛って組立て直した。以降、不具合は皆無となった。直った理由は二つしか考えられない。一つは盛ハンダで導通が良くなったヵ。二つ目はバラしたことで蓄積していた静電気が除去できたヵ。何となくであるが後者が効いたのではないかと想像するがどうであろうか。以降、数日経過するも異常は生じていない。

 早稲田ラグビーの新体制が決まった。CTB野中が新主将で、田中勇成が副将。監督は大田尾が5年目に入った。新3年生では清水健伸、松沼、矢崎が委員となった。松沼は今季の活躍がまったくなかったので来季に期待。

 <児島青 『本なら売るほど(1)』(KADOKAWA、2025年)>:漫画。土曜日に必ず読む朝日新聞の書評で本作が紹介されており、ヨドバシカメラでは在庫がなくて取り寄せになっていた。
 街の小さな古本屋「十月堂」を舞台にした6話の物語。本を中心に描かれるこの世界はとても好きである。「ビブリア古書堂」シリーズ以来の古書店シリーズであり嵌まりそうである。続刊が待ち遠しい。
 6話の中で一番好きな物語は第3話「アヴェ・マリア」。高校生牟礼マリさんと主人公の元カノのマリさんが登場し、森茉莉が語られ、高校生マリさんを見て元カノマリさんが、「夢から醒めた女の横顔は美しいわ」と呟くシーンが素敵。
 書名の『本なら売るほど』で昔のあることを思いだした。それは書籍関連の企業に勤務している高校同学年の友人が、『大辞林』をプレゼントしてくれた。恐縮して連絡をすると返事は「本なら売るほどある」というものだった。20年以上も前のことである。

 <高野秀行 『酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する』(本の雑誌社、2025年)>:エチオピア南部アルバミンチよりケニア側に下ったデラシャに一画にある「酒を主食とする人々」がいる。そこを訪れたクルーとノーギャラで「裸の王様」である著者の紀行であり、楽しめる。老若男女は勿論、、幼児も妊婦も入院患者も朝から晩まで酒を飲む。度数は5%から下。水が貴重品であり、それも酒を飲むことになっている理由の一つとなっているのだろう、とにかく四六時中飲む。
 高野さんのルポは楽しい。活写している現地の人たちのキャラクターが面白く、世の中は広いことに改めて認識が深められる。賢くて気配りを欠かさない女性アルバズに対し、著者の帰国後のフォローが優しく、著者の温かさ伝わってくる。

2025年2月11日火曜日

大雪の報道、文庫本

 北海道や日本海側の大雪が連日報道されている。会津若松や富山空港の積雪情報が映像とともに毎日のようにテレビ画面に流れ、時には福島県金山町の情報も出てくる。何れも過去に居住していたところである。
 金山町は小中学生時代に住んでおりその豪雪には驚きもしない。鉱山社宅のなかの雪道は2階の床と同じ高さだったし、玄関の前は雪の階段だった。
 会津若松では高校3年間の冬を過ごしており、当時、雪に困惑した記憶はない。富山市では冬になって積雪量が増えると車を運転することもなく、会社の社宅の駐車場に車を駐めっぱなしにしており、積もった雪の中をかき分けてドアを開け、時折エンジンだけをかけていたことを思い出す。屋根に雪が積もり、車は雪の中に埋もれていた。昭和52年頃だった。積雪を経験したことのない連れ合いは富山というと雪を思い出し、2度と住みたくないと今も言う。

 <千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 まがいもの』(集英社文庫、2024年)>
 <千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 十両役者』(集英社文庫、2025年)>:それぞれ短編3編の時代ライトノベル。鉞ばばあのお絹、孫のお鈴、お絹の弟で岡っ引きの倉蔵、気弱な職人見習いの豆次郎が全編にわたる登場人物であるが、彼ら彼女らのキャラクターが頭の中で築けない。例えば永井義男さんの小説では登場人物の姿や振る舞いが脳裏に浮かんでくるのであるが、千野さんのこの小説ではそれが浮かんでこない。何故だろうと思うが、多分に登場人物のティピカルな設定は描かれているのであるが、そこに重なる会話や仕種が表面的であり、さらにワンパターンなのでその人たちの内面が浮き出てこないのであろうと思う。安直な時代活劇といったところであり、このシリーズは無論、この作家の小説はもう読まない。

 <江馬修 『羊の怒る時 関東大震災の三日間』(ちくま文庫、2023年/初刊1925年)>:1923年(大正12)9月1日に関東大地震が発生し、作家の江馬修も代々木初台で罹災した。それからの3日間を私小説風に描写したドキュメンタリー。流言蜚語が人々の中に蔓延して朝鮮人狩りが横行し、本人も巻き込まれそうになる。
 100年前の集団ヒステリックな行動に昔の事件という感覚は覚えず、人間の本能とも言える不変的な愚かさを改めて認識させられる。SNS横行のデマや中傷がなく広まり、それに纏る自死や一連の現象、例えばトランプ大統領選における熱狂や連邦議会議事堂襲撃なども人間社会の根源的な本能-自然現象-のように思える。SNS発信者もどうかと思うけれど、それらを読んで同調する人々もどうかと思う。
 江馬修によるこの一冊は作者の冷静な思いが描写され、震災の状況が緻密に描かれ、優れたドキュメンタリーと思える。
 江馬修といえば『山の民』、そして『飛騨百姓騒動記』。解説の天児照月は、江馬修との生活を描いた『炎の燃えつきる時 江馬修の生涯』と『摩王の誘惑 江馬修とその周辺』。照月の弟慧は早稲田大学の名誉教授である。江馬修の作品、特に『山の民』には複雑な著作権の問題があるようだが、文庫化されてもっと広く読まれてもいいと思う小説である。大正期のベストセラーであり出世作『受難者』(1916年)を読みたくなる。