金山町は小中学生時代に住んでおりその豪雪には驚きもしない。鉱山社宅のなかの雪道は2階の床と同じ高さだったし、玄関の前は雪の階段だった。
会津若松では高校3年間の冬を過ごしており、当時、雪に困惑した記憶はない。富山市では冬になって積雪量が増えると車を運転することもなく、会社の社宅の駐車場に車を駐めっぱなしにしており、積もった雪の中をかき分けてドアを開け、時折エンジンだけをかけていたことを思い出す。屋根に雪が積もり、車は雪の中に埋もれていた。昭和52年頃だった。積雪を経験したことのない連れ合いは富山というと雪を思い出し、2度と住みたくないと今も言う。
<千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 まがいもの』(集英社文庫、2024年)>
<千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 十両役者』(集英社文庫、2025年)>:それぞれ短編3編の時代ライトノベル。鉞ばばあのお絹、孫のお鈴、お絹の弟で岡っ引きの倉蔵、気弱な職人見習いの豆次郎が全編にわたる登場人物であるが、彼ら彼女らのキャラクターが頭の中で築けない。例えば永井義男さんの小説では登場人物の姿や振る舞いが脳裏に浮かんでくるのであるが、千野さんのこの小説ではそれが浮かんでこない。何故だろうと思うが、多分に登場人物のティピカルな設定は描かれているのであるが、そこに重なる会話や仕種が表面的であり、さらにワンパターンなのでその人たちの内面が浮き出てこないのであろうと思う。安直な時代活劇といったところであり、このシリーズは無論、この作家の小説はもう読まない。
<江馬修 『羊の怒る時 関東大震災の三日間』(ちくま文庫、2023年/初刊1925年)>:1923年(大正12)9月1日に関東大地震が発生し、作家の江馬修も代々木初台で罹災した。それからの3日間を私小説風に描写したドキュメンタリー。流言蜚語が人々の中に蔓延して朝鮮人狩りが横行し、本人も巻き込まれそうになる。
100年前の集団ヒステリックな行動に昔の事件という感覚は覚えず、人間の本能とも言える不変的な愚かさを改めて認識させられる。SNS横行のデマや中傷がなく広まり、それに纏る自死や一連の現象、例えばトランプ大統領選における熱狂や連邦議会議事堂襲撃なども人間社会の根源的な本能-自然現象-のように思える。SNS発信者もどうかと思うけれど、それらを読んで同調する人々もどうかと思う。
江馬修によるこの一冊は作者の冷静な思いが描写され、震災の状況が緻密に描かれ、優れたドキュメンタリーと思える。
江馬修といえば『山の民』、そして『飛騨百姓騒動記』。解説の天児照月は、江馬修との生活を描いた『炎の燃えつきる時 江馬修の生涯』と『摩王の誘惑 江馬修とその周辺』。照月の弟慧は早稲田大学の名誉教授である。江馬修の作品、特に『山の民』には複雑な著作権の問題があるようだが、文庫化されてもっと広く読まれてもいいと思う小説である。大正期のベストセラーであり出世作『受難者』(1916年)を読みたくなる。
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