試験はどうだったと尋ねたら国語の古文が分からなかったと言っていた。滑り止めに私立高校を併願受験し、選択コースの中では一番上位のコースを受けていた。本命の公立高校の受験は1ヶ月後だが、まずは私立に合格し精神的にゆとりができるであろう。ネットで本命校と滑り止めの両校の入学偏差値を見たら、本命よりも滑り止めとしている高校の方が高い数値であり、あれっと思った次第。受験科目数の違いなどがあるのかもしれない。また、学校訪問時の校内雰囲気などを重視していたようである。
CチャンにもLINEで「合格おめでとう㊗!」とメールしたら「ありがとう!!」と返ってきた。
<吉田兼好 佐藤春夫訳 『現代語版 徒然草』(河出文庫、2004年)>:今更ながらの徒然草。良くも悪くも、人間の行動や思想の根っ子は少なくとも1300年代より変わることなく普遍である。
箴言を一つ、「勝とうと思ってかかってはいけない。負けまいとして打つのがいい。どの手が一番早く負けるかということを考えて、その手を避けて、一目だけでもおそく負けるはずの手を用いよ」。先日のラグビー大学選手権での早稲田のちぐはぐな攻めを思い出した。
<神永曉 『悩ましい国語辞典』(角川ソフィア文庫、2019年/初刊2015年)>:言葉は生き物で、年月を経て変化し、或は新たに生れ、中には衰退して消滅する。だからこそ面白い。いまでも時々ドラマなどで「とんでもございません」と台詞が発せられると誤用を指摘したくなる。そしてそのドラマを演じているときに誰もその間違いを正す人はいなかったのかと思ってしまう。
会社勤めをしている時にミーティングを仕切るマネージャーが「取り付くひまもない」と言っていたので。「取り付く島もない」でしょうと指摘したらきょとんとしていたことを思い出す。また、富山市に就職したとき、「打擲する」が日常的に使われていて最初は意味が分からなかった。漢字難読の部類に入るこの言葉が普通に使用されており、他県出身者の先輩も同様に驚いていたことを思い出す。
拾い読みしながら全頁に目を通した。全てを記憶することは無論できるはずもなく、読んでいるときの刹那的な楽しみを味わうしかできないのが口惜しい。ついつい『さらに悩ましい国語辞典』を購入した。
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