2025年8月10日日曜日

珍しい苗字、文庫本と漫画

 歯科医院で顔なじみになっているスタッフの方の苗字は全国で数百人しかいない珍しいものであり、今日その方と軽く会話をして予想する出身地方を問いかけたらまさにその通りであった。ただ結婚して苗字が全国でもベストテンにはいる名前となった(なってしまった)とのこと。しかし、旧姓にも愛着があり、勤務先でのネームプレートには旧姓のままでいるとのことだった。棄てがたいですよね、と言ったらそうなんですと微笑んでいた。そう、選択的夫婦別姓には賛成するのである。
 その日、酒屋さんで会計を済ますとき、その女性のネームプレートにはもっと珍しい苗字が刻まれていた。秋田県に多い名前ですよね、とその地方名を口に出して声をかけたら旦那さんがその地の出身であり、苗字の由来は義父に教えてもらったとのことだった。ご自身は秋田県を訪れたことはないそうである。この苗字の俳優の名前を言ったが彼女は会ったことはないと仰っていた。
 珍しい名前や読みにくい名前の人-大抵は飲食店やスーパーで出遇うことが多い-に接すると必ずといっていいほどに声をかけてしまう。今までにも何度もそういうことがあったが、一日の中で2回も話しをすることができてラッキーな気分となった。

 <宿野かほる 『ルビンの壺が破れた』(2020年、新潮文庫/初刊2017年)>:いわゆる書簡体小説。「ルビンの壺」とは黒地に白地を組み合わせ、向き合う二人の顔、あるいは壺(杯)にも見えて両方同時に認識できない多義図形。本書の表紙を確認すればすぐに分かることだが、カバーをつけていたために気付かなかった。 フェイスブックでメッセージをやりとりする一馬と未帆子は30年近く前に大学演劇部での部長と劇団員で二人は結婚する予定だった。が、結婚式当日に未帆子は式場に姿を現さず以来二人は互いに連絡することはなく、未帆子のフェイスブック投稿を契機に一馬はメッセージを送り、未帆子は間を空けながらも返信する。そのやりとりの間で二人の関係性、二人それぞれの過去が浮き出てくる。未帆子は本当に未帆子当人なのか、一馬の30年間の空白は何だったのか、未帆子はなぜ結婚式当日から姿を消してしまったのか、読んでいる途中で想像はしてみるのだが、後半の後半になって全てが明らかになる。帯にあるように確かに「どんでん返し」だった。と同時に未帆子の大学時代の素性も明らかになる。そして最後に太字にされた文章で小説は閉じられる、「とっとと死にやがれ、変態野郎!」と。
 楽しめた、と同時に覆面作家”宿野かほる”は男性ではなかろうかと思い、でも名前から結びつくようにやはり女性なのかとも思える。その揺らぎは抱き合うとかの表現ではなくストレートに「セックス」という表現を多用している点に多少違和感を覚えたからでもある。しかし、読み終えると二人のかつての学生時代の生活模様からすればその直接的な表現が適していると思える。そこまで計算された描写であるならば作者の表現力は優れていると思う。

 <児島青 『本なら売るほど (2)』(KADOKAWA、2025年)>:本にまつわる物語は楽しめる。今回も期待通りにゆったりとした気分になり、描かれると人物の絵と台詞にストンと入り込んだ。第7話の「意味もなく楽しいとき人は幸せだ」は本当にそう思う。楽しさに理屈づけをしたり、楽しさを求めて彷徨ったりしているときは恐らく幸せではないのであろう。理屈付けするその行為を意味もなく面白がるとき、彷徨っていること自体を楽しむときは幸せなのであろう。

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