初めてヘッドセット(audio-technica ATH-BT12)を購入した。AG06に接続。呆け防止で行っている英会話の学習に使用する。あるとないでは音読に格段の違いがある。但し、マイクを外して純粋に音楽を聴くには向いていない、というか保有している他のヘッドホンとは(価格的には当たり前だが)音質がかなり劣る。
<渡辺京二 『私の幕末維新史』(新潮選書、2025年)><渡辺京二 『私の明治時代史』(新潮選書、2026年)>:1980年代初めに熊本市の真宗寺で行われた講義の録音テープからテキスト化された2冊。
渡辺京二さんの本を読み始めたのは遅くて2007年からであり、以来(内容の理解度合いは横に置いて)36冊を読んできていて、亡くなってしまったのでもう新刊は読めないと思っていた。そこへこの2冊が発刊されたので先ずは購入し、暫く時間をおいてから表紙を開いた。
総括として次の記述を引用しておく(『私の明治時代』252-253頁);「人間は思っていること、心の中で起こっている様々な邪念欲念も含めて、ああしたいこうしたい、あいつは嫌だという感情も含めた総体を考えると、それが思想やイデオロギーになって言語化されるわけですが、その言語化しうる部分はごく一部分に過ぎないと思うのです。人間の心という氷山の下にある、雑な言葉で言うと「欲求」とでも名付けられるものが、往々にして、思想化しイデオロギー化し言語化をするときに、本人によって誤訳されるわけです。心の中で渦巻いている欲求を本人が誤って表現している。頭山の「忠君愛国」や「大アジア主義」も、彼の心の中にあった大きな総体的な欲求が、やはり一種の誤訳をされているのだと思います。したがって、この部分だけを取り出して思想史的に論じてみてもつまらない。人間の中で渦巻いている大きな人間の心のあり方の中に、本当の「時代の問題」があるのじゃないかと思います。けれどもこれを正しく表現することが非常に難しい。だから僕らはこの仕事を一生懸命厳密にやらんといかんのですが、やっぱり誤訳しがちであると思います」
上の文章を読んで、自分なりの定義「政治的人間のエートスとは思想と感情が合体した精神」が記憶から呼び起こされた。そして皮肉っぽく言うと、今の政治家とは、その思想と感情が合体した精神を本人自らが解釈・理解できないままに政治という舞台に立ち、その舞台で言葉を弄することにフォーカシングしている。そういう思いが強くなった。
<丸山薫 『司書正』第1巻~第4巻(KADOKAWA、2023~2026年)>:古代中華を舞台にした文字と支配と個人の生き方。面白い、それに兎に角絵の線が美しい。文字と記録(蔵書樓)とそこに居住する司書正とキビの二人に惹かれる。物語の創造とそれを生み出す想像力に圧倒される。難点は主人公のキビは可愛く特徴的に描かれているが、公太子や若い男たち、妃などの女性たちは類型化された美が基調となっているので時折見分けに戸惑うことがある。漢字が沢山出てくるので楽しめる。
単行本の出版は年に1回なので次巻まで長く待たねばならない。「本なら売るほど」も掲載されているのでいっそのこと年10回発刊される『ハルタ』を購入しようか。
<春画ール 『春画で見るお江戸風俗考』(新潮文庫、2026年/初刊2023年)>:著者の春画ールさんは「会社員をしながらSNSで江戸期の性文化や春画の情報を発信したり、当時の文献から人間の性に対する価値観や心理を探るコラムを執筆したりして」いる女性。春画や性具のコレクターでもある。
淫斎英泉『閨中紀聞/枕文庫』に記述されているオンナの怨みや妬みを克服する妙薬を実際に作って飲んだという著者の探究心には驚き、笑いもした。何の効果もなかったらしいが。但し、著者が保有している、明治期に販売された性具についての体験は述べられていない-こう書いては不謹慎極まりないかな-。また、性具「夢情留心」を再現してもいる。
多くの春画や性器の図が載っており、改めてそれらに惹かれるものではなく、また江戸期の性文化は他の本も目にしていることもありページを進めると次第に倦きてきた。
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