2026年8月30日日曜日

渡辺京二の本、丸山薫の漫画、春画ールの江戸風俗考

 月初めに発注しておいた梨(豊水)が配達された。冷して食べて美味しい!

 初めてヘッドセット(audio-technica ATH-BT12)を購入した。AG06に接続。呆け防止で行っている英会話の学習に使用する。あるとないでは音読に格段の違いがある。但し、マイクを外して純粋に音楽を聴くには向いていない、というか保有している他のヘッドホンとは(価格的には当たり前だが)音質がかなり劣る。

  <渡辺京二 『私の幕末維新史』(新潮選書、2025年)><渡辺京二 『私の明治時代史』(新潮選書、2026年)>:1980年代初めに熊本市の真宗寺で行われた講義の録音テープからテキスト化された2冊。
 渡辺京二さんの本を読み始めたのは遅くて2007年からであり、以来(内容の理解度合いは横に置いて)36冊を読んできていて、亡くなってしまったのでもう新刊は読めないと思っていた。そこへこの2冊が発刊されたので先ずは購入し、暫く時間をおいてから表紙を開いた。
 総括として次の記述を引用しておく(『私の明治時代』252-253頁);「人間は思っていること、心の中で起こっている様々な邪念欲念も含めて、ああしたいこうしたい、あいつは嫌だという感情も含めた総体を考えると、それが思想やイデオロギーになって言語化されるわけですが、その言語化しうる部分はごく一部分に過ぎないと思うのです。人間の心という氷山の下にある、雑な言葉で言うと「欲求」とでも名付けられるものが、往々にして、思想化しイデオロギー化し言語化をするときに、本人によって誤訳されるわけです。心の中で渦巻いている欲求を本人が誤って表現している。頭山の「忠君愛国」や「大アジア主義」も、彼の心の中にあった大きな総体的な欲求が、やはり一種の誤訳をされているのだと思います。したがって、この部分だけを取り出して思想史的に論じてみてもつまらない。人間の中で渦巻いている大きな人間の心のあり方の中に、本当の「時代の問題」があるのじゃないかと思います。けれどもこれを正しく表現することが非常に難しい。だから僕らはこの仕事を一生懸命厳密にやらんといかんのですが、やっぱり誤訳しがちであると思います」
 上の文章を読んで、自分なりの定義「政治的人間のエートスとは思想と感情が合体した精神」が記憶から呼び起こされた。そして皮肉っぽく言うと、今の政治家とは、その思想と感情が合体した精神を本人自らが解釈・理解できないままに政治という舞台に立ち、その舞台で言葉を弄することにフォーカシングしている。そういう思いが強くなった。

 <丸山薫 『司書正』第1巻~第4巻(KADOKAWA、2023~2026年)>:古代中華を舞台にした文字と支配と個人の生き方。面白い、それに兎に角絵の線が美しい。文字と記録(蔵書樓)とそこに居住する司書正とキビの二人に惹かれる。物語の創造とそれを生み出す想像力に圧倒される。難点は主人公のキビは可愛く特徴的に描かれているが、公太子や若い男たち、妃などの女性たちは類型化された美が基調となっているので時折見分けに戸惑うことがある。漢字が沢山出てくるので楽しめる。
 単行本の出版は年に1回なので次巻まで長く待たねばならない。「本なら売るほど」も掲載されているのでいっそのこと年10回発刊される『ハルタ』を購入しようか。

 <春画ール 『春画で見るお江戸風俗考』(新潮文庫、2026年/初刊2023年)>:著者の春画ールさんは「会社員をしながらSNSで江戸期の性文化や春画の情報を発信したり、当時の文献から人間の性に対する価値観や心理を探るコラムを執筆したりして」いる女性。春画や性具のコレクターでもある。
 淫斎英泉『閨中紀聞/枕文庫』に記述されているオンナの怨みや妬みを克服する妙薬を実際に作って飲んだという著者の探究心には驚き、笑いもした。何の効果もなかったらしいが。但し、著者が保有している、明治期に販売された性具についての体験は述べられていない-こう書いては不謹慎極まりないかな-。また、性具「夢情留心」を再現してもいる。
 多くの春画や性器の図が載っており、改めてそれらに惹かれるものではなく、また江戸期の性文化は他の本も目にしていることもありページを進めると次第に倦きてきた。

2026年8月22日土曜日

適菜收 『高市早苗という病』

 ここ1ヶ月の間、体重が高値になっている。運動は碌にせず、食うことと飲むことは以前より多分増えている。前に体重を落としたころに留意していたことを心懸けねばならない。

 <適菜收 『高市早苗という病』(ベスト新書、2026年)>:嘘をつく、言葉を弄ぶ、そのような人は大嫌いである。
 以下、本書より抜き書き;
 病、日本に根を腐らせている病の集約、虚像、虚言、無知と無恥、バカの活性化、自己陶酔、歪んだ自己愛、メタ認知の欠如、被害者アピール、バカがバカを支持、話しのすり替えとごまかし、サッチャーというよりサッチ(野村沙知代)、歩くATM、群れのボスに追従するチンパンジーの宮廷。
 社会の免疫不全、言葉が死ぬとき思考が死ぬ。
 バカは、欲しいものを手に入れると満足します。他人からの注目、名声、財産、権力、高い評価……自分はそれを持つに値すると思っているものを手に入れた時、満足感を覚えます。ただし、バカのそうした特権意識は、多大な不安と引き換えにかろうじて維持されているものです。たとえ欲しいものをどれほどたくさん手に入れても、日々の激しい戦いの中で、たったひとりでまわりをすべて敵に回し、誰にも頭を下げることなく、『一番賢いのはこのおれだ』と自らに言い聞かせっづけなくてはならないのです」
 能力の低い人ほど自分の知識や技術を過大評価し、自身の判断ミスを認識できない傾向を指す。(ダニング=クルーガー効果の教科書的な症例)
 証拠より自分の記憶が正しい女。
 現実を自分に都合よく書き換える。証拠があっても「捏造だ」と言う。記録が残っていれば「記憶にない」と言う。矛盾を指摘されれば「そういう趣旨ではない」と言う。追及が続けば「個別の報道へのコメントは差し控える」と言う。発言の責任を問われれば「聞かれたから答えただけだ」と言う。罷免されないことをわかっていて「罷免されるなら仕方がない」と言う。状況に応じて言葉が変わるだけで、「現実より自分の都合を優先する」という一点だけは微塵もブレない。
 自分の信念を裏付ける情報を優先的に集め、反証となる情報を軽視したり無視したりする傾向がある。批判的分析を排除し、それどころか敵視する。(確証バイアス)
 都合の悪い情報を無意識に記憶の端に追いやり、そのうち自分か嘘をついていることすら忘れる。(動機づけられた忘却)
 知ってしまうと不都合になるから、あえて知らないままでいようとする。(戦略的無知)
 かつて、ジャーナリストの上丸洋一が『「諸君!」「正論」の研究』で、安倍の政治観は自称保守向け月刊誌「諸君!」や「正論」から適当にトピックを拾い集めたものに過ぎないという趣旨の指摘をしていたが、高市はそれ未満である。
 立憲主義における憲法改正とは、現行の条文が現実の問題に対応できなくなったとき、問題を解決するための最小隕の変更を、最大限の合意形成を経て行うものである。高市が答えを持ち合わせていないのは、彼女の世界に「現実」が存在しないからだ。

2026年8月8日土曜日

雑記、マンガ

 1年に1回は市立医療センターで心エコー検査をし、3ヶ月毎には某総合病院泌尿器科で簡単な診察をして前立腺肥大症治療薬と排尿障害改善剤の処方箋を書いてもらい、年に1度はPSA検査を行っている。
 2ヶ月毎には別の内科クリニック行き、そこではほぼ年に一度は頸動脈エコー検査をし、4ヶ月に1度の頻度で血液検査を受けている。つまりその内科クリニックでは血液検査の採血をして2ヶ月後にその結果を聞き、更にその2ヶ月後にはまた血液検査というサイクルを繰り返している。
 約1ヶ月前の心エコー検査では変化はなく、泌尿器科にても変化はない。そして数日前に内科クリニックで血液検査の結果を確認し、なんと各検査項目において基準範囲を超える(H)あるいは下回る(L)項目は一つもなかった。前回もそうであったので、特にコレステロールと中性脂肪が基準値に入っていることが嬉しい。この2項目は長年にわたって基準を超えていたので尚更に安心している。要は服用している薬が効いているということなのだろうが、薬を服用していても基準値外の項目が皆無であることは珍しいですよと調剤薬局の薬剤師さんに言われ、単純に喜んだ。

 <地主 『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』第1巻~第9巻(スクウェア・エニックス、2022~2026年)>:第1巻は無料で読めるとのメールが来て、暇つぶしにその漫画をPCで読んでみた。楽しめた。そして続きが読みたくなり結局は第1巻から最新刊の第9巻まで全巻を一括で購入してしまい。ほぼ毎日少しずつ読み、全巻目を通した。第10巻は今冬の発売予定なので楽しみに待つこととしよう。アニメも放送されているが見る気持ちはない。動きがあって声もあるアニメでは物語への想像力(妄想力)が削がれてしまうと思うからである。
 作者の地主さんは性別・年齢不詳であるが、絵柄から推測するに女性であろうと思う。基本的に女性の漫画は絵が嫌いなのでまず読むことはないが、恐らく女性であろうと想像しているこの漫画は表現される会話に惹かれる。「居心地の良い片思いをさせて頂いているよう」や、「君の優しさは」「ただの怠慢だ」という言葉が鋭利である。冱えない46歳の佐々木の優しさと、山田と田山の2面を演じる24歳ほどの田山(山田)との関係の展開が楽しめる。

 新聞の折り込み広告に「疲労回復ウェアは書店で買える」「帰省先の両親に贈りたい・・・」とのフレーズがあったが、春日部に居住している我が家からの近所にはもう書店はない。駅前と、駅から反対側のところにも書店はあるけれど小規模なので行く気がしない。ショッピングモールに比較的大きな書店はあるけれど出かけるのが面倒。結局はネットで購入することが習慣になっている。以前は自宅から徒歩数分の位置に戸田書店があってよくぶらぶらと行っていた。が、今は日本料理屋になっている。こうして少しずつ生活圏内が狭まっている。寂しい限りである。