<渡辺京二 『小さきものの近代Ⅰ』(弦書房、2022年)>:「小さきもの」とは「上から日本近代国家を創った人物たちではなく、その創られた「近代」に適応してゆかざるをえない者たちのことを形容」している。
第一章「緊急避難」では漱石の維新に対するスタンスを、また池辺三山のそれを概説する。「維新が開いた近代国民国家建設の過程が、いつゴールにたどりついたかと言えば、結局は1945年の敗戦だったというのが」渡辺京二考えであり、共感している。それは皮肉っぽく別の表現で言えば、維新や明治が帰着したのがその敗戦だったというのが自分の思いである。緊急避難として形成された維新に、当時の知識人たちの冷めた見方を紹介し、論じ、章末に長谷川如是閑の言う「「ぼうふら」扱いされて来た名もなき人びとの希求と努力」による「中味の歴史」を書くことを試みたいとし、第二章以下に続く。
第二章は「徳川社会」。打倒された徳川国家を述べる。以降、「自覚の底流」では「小さきものたち」の自覚を例えば一揆を記述し、「開国と攘夷」では水戸学をある意味罵倒し尊攘派志士たちの空論を論じ、イデオローグとしての吉田松陰には「思想家として納得の行かぬ」ことを記し、吉田松陰嫌いの自分にはここも我が意を得たりと感じる。高杉晋作に対する批判にも同感の思いを抱く。積み重ねた自分の思いが精確に代弁されていると思いである。
以降「異国体験」(万次郎や彦太郎、薩摩藩の留学生たちを描く)、「幕臣たち」、「敗者たち」(主に会津藩に生きて辛酸を嘗めたひとたち)、「女のちから」(著名人たちの母など)、「黙阿弥と円朝」と続くが、次第にエピソード集のように思えて読むのが雑になった。
渡辺京二は2022年92歳で亡くなってしまった。2007年に『逝きし世の面影』を読み、それ以降18年間にわたって読み続けた冊数は本書を最後に36となった。会社勤めの時は昼休みに自席で食事を摂りながら読んでいた。あのときも今もどれだけ理解できたのか心許ないが、自分の思いを整理してみたり、考え方、世の中の捉え方などに尠くとも影響を受けたことは間違いない。
<永井義男 『秘剣の名医 十八』(コスミック・時代文庫)>(コスミック・時代文庫、2025年):書名は「秘剣の名医」であるが、「秘剣」で活躍するシーンは出てこない。メインスト-リーは枕絵の「開の生き写し」を巡る謎ときであり、その間に別の殺人があり、そこでは新たに登場する犬ホントが目立たずに活躍する。
<永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ③』(リイド社、2025年)>:国さんと、お腹が大きくなったおようさんは江戸から東京に移り、朝、おようさんは子どもを抱えて国さんに「行ってらっしゃ~い」と声をかける。了。
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