冥界(①)と紀元前14世紀の現世(②)と21世紀の現在(③)がホテルのコネクティングルームのように繋がっていて、セティが①と②をまたぎ、タレクが②に生き、異国(トルコ南部)から来てエジプトの神々文化に慣れ親しんでいないカリは②に生きるがその視点は③のようである。
下半身が木でできているセティが自身の心臓を探すというシーン、神々の欲望と審判、密室から運び出されるミイラ、これらの世界に何の抵抗もなく入って物語を読むことができる。
密室での謎ときがあり、その謎ときもミイラであるからこそ成立し、カリを騙すエジプト女性がいるし、悪辣な雇い主がいて奴隷のカリへのひどい仕打ちがあるし、寝殿造りの石運びがあるし、冒険もあるし戦もある。カリの内面の葛藤と絶望、そして不幸からの救いがあり、そこは古代エジプトであり、神々も出てくる。
第2章でカリが唐突に現れて主人公になり、彼女がその後どう絡んでいくのか期待し、親に棄てられたと思っていた聡明な彼女も最後は幸福な生活に戻る。古代エジプトが現代に絡むミステリーではなく、古代エジプトでのミステリーという設定に新鮮さを感じ、冒険あり、不幸から抜け出す柔らかな心地となる展開もあって面白く読めた。
興味があって数日前に衝動的に『図鑑 アフリカ全史』(東京書籍)を購入し、短い描写ではあるけれど初期文明エジプトの図を眺めたりして想像を広げ楽しんだ。
<永井義男 『秘剣の名医 十九 幕府検死官』(コスミック・時代文庫、2025年)>:3編が収められている。伊織の「秘剣」が舞う場面はなく、さしずめ事件解決の知恵袋の役割の伊織は今風に言うとプロファイラーといったところ。
妻お繁の機転が利いた発想や、魅力的な明るいキャラクターを活写する物語が欲しい。これは編集者が企画して永井さんに申し出なければならないことなのかもしれない。でも、この本がつまらないと言うことではなく、一気読みで楽しめる。
<桐野夏生 『顔に降りかかる雨』(講談社文庫、1996年/初刊1993年)>:「第39回江戸川乱歩賞受賞作。最後のオチがそろそろだと期待して,案の定の真犯人がいて,この典型的パターンは今一つ不満。気に入った言葉:「大事なのは変だと感じる感性と,何故だと考える想像力だ」」、これは1993年時の読後短文。桐野さんの小説は全部で6冊しか読んでいなく、今回は再読。20年ぶりに村野ミロを主人公にした『ダークネス』が出されたことにあり、32年前に読んだときから愛着のあった「大事なのは変だと感じる感性と,何故だと考える想像力だ」にもう一度触れてみよう、そして読んでいなかったミロ長編三部作の残り二作を読んでから最新刊を開いてみようと思った。そのことが今回この小説を再読しようとした切掛。
32年前、44歳のときは所謂精密機械製品の開発設計チームを束ねていたときで、当然の如くに設計・試作・評価のフェーズを繰り返す中では設計や試作部品の不具合に直面することは多い。それは簡単に言えば試作した製品モデルや部品に対して「変だ、上手くいかない、何かおかしい」と感じることから始まり、そして解決するためには「何故なんだろう、どこに原因があるのだろう」と考えることでもあった。設計者全員に共通することであり、それで、「大事なのは変だと感じる感性と,何故だと考える想像力だ」、それを強化するためにどうすれば良いのか(行動)を個々に考え続けていて欲しい、というようなことをチームに伝えて続けていた。この言葉は自分を取り巻く全てのこと-社会情勢や政治や自分のことなど凡ゆること-にあてはまると思っている。