Norah Jonesが歌うDon't Know Whyから彼女のボーカルを除去し、EWIでメロディを重ねようと練習を重ね、一応は演奏ができるようにはなったのだけれど、録音して聴いてみると余りにも下手。リズムに乗れない、音符をスムーズに追いかけられない、バックと合わない、Jazzってこんなに難しいものか、否、そもそもNorah Jonesの歌をなぞってみようなどという行為自体が傲慢なのであろう。数週間にわたって練習しても、録音した自分のものは自身でも聴くに堪えられない。ということでこの曲の録音は諦める。時々は演奏してみて自分の技量のレベル確認をする参照課題曲とするに止める。
<釘貫亨 『日本語の発音はどう変わってきたか』(中公新書、2023年)>:副題に「 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅」。引き込まれた。以下の羅列は全て本文からの引用、あるいは引用文を結合させたものである。
(本書は、)古代から中世に至るまでの日本語の音声変化を、単語が長くなること、すなわち「ヒ」から「ヒカリへ「チル」カら「チラス・のように文法単位が長大化する趨勢とのかかわりで把握しようとする。
平安時代極初期の日本語には現代語のsaのような音が存在せず、「ツア(tsa)」に近い音であった。
大きな社会変動が言語変化を引き起こすことは、室町時代と明治時代に実例がある。
漢字、平仮名、片仮名,ローマ字と、四種類の文字が同じ文脈の中で躍動している。これほど世界一複雑な文字体系は平安時代に始まった。
「ん」は中世以後現れるので平安時代当時の平仮名ではない。
奈良時代の八行音は、「パ・ピ・プ・ぺ・ポ」であったが、平安時代はp音からやや両唇の動きが退化してファ・フィ・フ・フェ・フォ」のような発音であった。
たまに「僕は源氏を全部原文で読んだ」と言って自慢する人がいるが、書店で売られているようなテクストが果たして「原文」といえるのかどうか、国文学者に聞きたいくらいである。
母にはニたびあひたれども父には一度もあはず(『後奈良院御撰何曽』1516年)。 これの答えが「くちびる」なのである。これは、当時「母(はは)とを発音するためには、「ファファ」と唇を二度合わせて発音するのに対して、「父(ちち)」は、「ティティ」あるいは「チチ」と発音するので、唇を一度も合わせない。「羽柴秀吉」の発音は、「ファシバフィデヨシ」だったのである。
鎌倉時代以前の仮名の用法によれば、「藤」は「ふぢ」、「富士」は「ふじ」で区別された。「じ/ぢ」「ず/づ」の仮名遣いを「四つ仮名」という。
辻知事が地図を見る。寿司屋が煤まみれで獅子奮迅の働きをした。父が土だらけの手で筒を持った。ズーズー弁。
蝶:てふ、tefu→teu→tyoo
日本漢字音の重層性:銀行員の行雄は、修行のために諸国行脚を行なった。小学二年生のニ郎は学級でニ人目のリレー選手だ。今年の元日は日曜日だった。稚児行列をした太郎は、児童会の役員で家は小児科医院だ。大介は大切な貯金をおろして大きな買い物をした。
西洋人は中国人の発する「日本/ジープン」に近い音をJapan、Japonのように聞いたのである。現代中国語の「日本」は、さらに変化して「リーベン」のように聞こえる。
もともとの日本語には存在せず、漢字によってもたらされた音声には拗音もある。
「キャ」「キュ」「キョ」のように、「ヤ」「ユ」「ヨ」を小書きするのは明治以後の習慣である。拗音表記は、明治以後、西洋語系外来語の音訳の受け皿となる。
「五十音図」とは、契沖の命名。
明治政府が歴史的仮名遣いを採用した理由は、契沖と宣長以外に語の綴り方に関する学問的基盤がなかったからである。