2016年5月24日火曜日

雑多の本、漫画

  <石川雅之 『惑わない星1』(講談社、2016年)>:瀕死の地球を救うべく惑星たちが行動する。擬人化された惑星と人間の関係、「内」と「外」、戸惑いながら頁をすすめた。
 ちょいと気に入った文章;「人間ってのは地球にとっては表面についた病気みたいなもんでさ、俺らの存在自体が地球にとってはひどく迷惑なんだって、だから地球を守りたいと思うならまず人間が地球からいなくなりゃいいんだって」、あとはこれに続く意味ありげな言葉。「人類ってさ、地球のコアに何かちょっかい出せたことある?」「あんた達は単に自分達で自分達の首を勝手に絞めて遊んでいるだけ」「そんな思い上がった考え方は安心して忘れちゃいなよ!」(63-64頁)。

 <安彦良和 『天の血脈7』(講談社、2016年)>:1910年韓国併合の直前。安積亮は内田良平にたてついて絶縁し、併合に大きく関わる明石元二郎と知り合い、好太王碑傍の大王陵発掘調査の参加を決意する。

 <下川耿史 『エロティック日本史』(幻冬舎新書、2016年)>:文明は発展し、文化の様相も変化する。変わらないのは人間の性への欲求、快楽を得る方法である。性の営みは何らその基本を変えることなく同じ事が繰り返されている。だからこそ筆者は「人生とはペニスとバギナの離合集散のドラマだと」と考え、「そのドラマを見据えることが、歴史と正面から向き合うことにもなるはずだ」とする。しかし、著者も自ら述べているようにエピソード集になっている。
 巻末では、「資料に接してみると、近代以前には個人の生き方が反映されているのに対して、近代以後においてはむしろ個人が時代の中に埋没しているように感じた」と述べている。
 触れにくいであろうが、中世の藤原一族と朝廷との関係および近親相姦傾向にも言及して欲しかった。
 神社の鳥居はなぜ鳥居というのかに得心した-引用するのは控えておく。

 <坂爪真吾 『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書、2016年)>:書名から性風俗現場のどろどろしたイメージが喚起されるらしく、結構な売れ行きを示しているらしい。朝日新聞日曜版の”売れてる本”に書評があり、風俗と福祉を絡めた内容であることを予め知った上で読んだ。筆者の本は以前に『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』を読んでおり、そこでは障碍者のヘルパーなどに真摯に向き合う姿勢がうかがわれた。今回のこの本、弱者たる女性が生きるために風俗に身を置き、また経営者側も風俗でしか生きられない彼女たちに向き合っている。オレの生きている世界とは異質であり、彼女たちよりも彼女たちから性を買う男たちの存在にこの世の虚しさを覚える。

 <呉智英・適菜收 『愚民文明の暴走』(講談社、2014年)>:呉智英と適菜收の対談。共感するところも、もちろん知識として得られることも多い。一緒に飲んでいる友人、定期的に顔を合わせる友人とは思想的・政治的な会話はしないように意識している。しかし、方向性が異なっても忌憚なく話せる友人はいる。
 民主的にとか、誰しも納得してとか、深い絆で連携してとか、これらの言葉が浅薄に「善」を前提として語られることには反発する。アホな政治家たちだって「民主的に」選ばれているのだし、善い人だって組織の中では敷かれたレールに迎合し、平気で嘘をつくのはよく見られる。活動するバカ、もの言うバカ、一寸賢いバカ、、、、面倒な人たちを見るのに努力は要しない。

 <適菜收 『日本をダメにしたB層の研究』(講談社α文庫、2015年)><適菜收 『ゲーテの警告』(講談社α文庫、2011年)>:B層を相手にしてもしようがない。大事なことは、自らの立ち位置を確認し、その位置からどのような広さで何を見ているか、見たものから何をどう判断し、どう態度をとるのか、を少しずつでも考え続けること。オレはそう思う。妄想ではない想像を、純粋であることと単純であることの違いを理解し、理想と空想をごっちゃにせず、無知であることで無垢を装わず、現実から逃避して希望を語らず、画一的なことを平等と誤解せず、…・等々。
 書かれているゲーテの言葉、オルテガの言葉がストンと入ってくる。
 「『民主化イコール善』という妄想を、無条件に受け入れている時点で、思考が停止しているのです」はまったくそう思う。「キリスト教がわからなければ、デモクラシーの本質がわからないし、イスラム教がわからなければ西欧を突き動かした宗教規範の問題がわからない」のは理解できていない。キリスト教における前提-神の前での平等、資本主義の起源-は微かに判っているつもりだが、イスラム教に関してはさっぱり知識がない。