2016年5月31日火曜日

またもや漫画、ちょっと硬い本

 田中圭一の『神罰』のことを書いたが(20160521)、もう一人大事な漫画家を書くのを忘れていた。谷岡ヤスジであって、『谷岡ヤスジ傑作編 天才の証明』(実業之日本社、1999年)と『ヤスジのメッタメッタガキ道講座』(同、2004年)は永久保存版的扱いをしている。

 <雨瀬シオリ 『ALL OUT 3』『ALL OUT 4』(講談社、2014年)>:暇つぶしの書店内散歩で目について結局購入してしまった。かつてのスポーツ漫画で見ているように、弱い高校に偏屈そうな監督が現れて厳しい練習を課し、つてで強豪校との試合をやって聖地(ここでは花園)に行くことが大きな目標となる。ここに可愛い女の子が登場して恋愛も絡むと充分に既視感ある漫画となる。

 <原泰久 『キングダム 四十ニ』(集英社、2016年)>:羌瘣が重傷となってto be continued。

 <矢部宏治 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』(集英社インターナショナル、2014年)>:日本の憲法は改定されてもいい、というよりも時代の状況を鑑みて見直されべきであると思っている。しかし、今は変えるべきではない。なぜなら、改定は本来の目標に向かって真摯に真正面に向き合うべきであるが、いまの日本にその能力はないと捉えているから。そしてまた、いくら憲法を論じても、アメリカに従属する条約と姿勢がある限り、憲法論議は空虚な響きをもって階段の踊り場で踊っているだけではなかろうかと思う。階段の上から見ても下から見ても声だけが響き渡り、上ることも降りることもなく、踊り場にとどまっているだけ。
 例えば、いま、沖縄で元米軍海兵隊の犯罪があったが、政府答弁も米軍関係者の動きも、過去何回も繰り返された常套句が繰り返されているだけである。恐らく、繰り返される文言は過去にも、未来にも同様の事件に対しても使えるものであろう。過去への言及もなく、未来への発展もなく、いつでも使えるその場限りの一般形式の言葉でしかない。
 この本、「原発」の部分はストンとは落ちてこないが、安保についてはジグソーパズルを当てはめるように経過を知ることができる。但し、憲法制定に関わった日本人たちへの言及が少なすぎる。
 米軍の日本駐在に関する背景-天皇の要望や近衛の恐怖など-は幾つかの書物にも詳述されており、現在では常識となっている。少なくとも安保条約があるかぎり(地位協定があるかぎり)日本は真の独立国家とは言えないと考える。なぜ、こうなってしまったのか、それは単に昭和史や戦後史から理解するのではなく、日本という国にある精神構造論・集団行動論などに踏み込まないと解らないと思っている。また、日本の憲法はGHQが作ったから云々という言葉があるが、戦争に負けるということは何もかもを失うことである。GHQが作ったからとかの恨みごとではなく、GHQが作った(あるいはリーディングした)ことを100%受け入れるしかなく、少なくとも敗戦直後はそれに抗う思想も行動もなかったことを受け止めるしかないはずである。なんだかんだ言っても、真の憲法論議への可能性についてはとても悲観的である。