2019年5月18日土曜日

宗教・神の本2冊

 <中村圭志 『信じない人のための<宗教>講義』(みすず書房、2007年)>:三大宗教を中心とした宗教学入門書。世界の宗教に対する基本知識は持っているが、宗教全般を語るには知識不足、あるいはもうちょっと宗教全般に共通する普遍的なもの、あるいは差異を知るための入門書、という位置づけ。日本における宗教の歴史と他の宗教との比較という点に関心がある読み手には物足りない。もっとも、一冊で広範囲に宗教の本質を知ろうとすること自体には無理があることも確かなので、あとは読み手がどの宗教を知りたいのかを問われることになる。

 <大野晋 『日本人の神』(河出文庫、2013年、初刊1997年)>:国語学者が「カミ」「神」を論じる本書は、歴史学者あるいは宗教史分野の学者が著す本とは切り口が異なり、新鮮である。しかし、「日本語カミ(神)に当たる単語が古代のタミル語の中から見出された」とする本書の主要点は、『古典基礎語辞典』に詳述されており(本書巻末にも掲載されている)、その辞典が自室の書棚にあるのに「カミ」「ホトケ」の頁を開かなかった自分の愚かさに落胆してしまう。
 古代日本語と古代タミル語の酷似性については批判的な学者も多いらしいが(wikipedia)、その内容に踏み込んでしまうと、本来の目的からの脱線も甚だしいので、そこに分け入ることはしない。
 古代タミル語は南インドの語であり、「カミ」以外の宗教的言葉にも酷似性があるとする点については説得される。もちろん、南インドの言葉がどのようにして日本に伝わったのか-逆はないだろう-、人間の移動と交流はどうであったのか、さっぱり分からないし、想像すら及ばないが、そのことを思うだけで楽しい。
 「カミ」と「神(カミ/シン)」は意味が異なる。「カミ」は、阿満のいうところの自然宗教であり、それは①唯一の存在ではなく多数存在し、②具体的な姿・形を持たず、③カミは漂動し、来臨し憑代に付いた。「カミ」は④それぞれの場所や物を領有し支配する主体であり、⑤超人的な威力を持つ恐ろしい存在であり、⑥人格化されることがある。このカミから一気に「神道」に進むのには無理がある。
 知りたいことは「カミ」が外来宗教とどのように、何を目的として混じり合い、相互に混じり合い、重なり合い、大平洋・大東亜戦争に結びつき、今に繋がり、この今の日本を流れているのか、ということ。それは丸山真男の<古層>、あるいは<執拗低音>を知ることだと言ってしまえば事足りるのかもしれないが、そんな単純なものであるはずもない。
 ザビエルはDeusを最初は「大日」と訳したが、結局は「デウス」とした。ヘボンもGodを「神(しん)」と訳さずに「ゴッド」としておけばよかったのに、と思う。

0 件のコメント: