2019年5月23日木曜日

宗教史などのテキスト3冊

 小説・マンガ以外の本を読んだ後は、その本に書かれている要点を再度拾いながら、なるべく書き落とすように努めている。そうでもしなければ上面の文字追いになってしまう。だからそのようなテキストは-自分にとって参考にならないとした本を除いて-、2度読みすることになる。
 それとは別に、すべての読書については、簡単な感想や、そのときの思いなどをメモ書きし、何を読んだのか振り返られるようにしている。しかし、いろいろと時間がかかりすぎるのは、読解力や文章力のなさであり、いまになって「少年易老學難成」を真に思う。

 <末木文美士 『日本宗教史』(岩波新書、2006年)>:通信教育をしていた頃、宗教史の講義の参考書、またはリポート作成のために読んだ。そのときは多分に駈け足で要点に線引きする程度の読み方だった。そのときとは違って、今回は神道を中心に置き、自分なりの納得を得たい、あるいは自分なりに考えを構築したいという(妄想的な?)目的をもっている。それは著者の文章を借りて書けば、次のようなものである。すなわち、自分なりの「思想史/宗教史の最大の課題は、表層から隠れて蓄積してきた<古層>を」”理解”して、「その<古層>がいかにして形成されてきたかを」”知って自分なりの考えをまとめておきたい”と思っていることである。(引用はまえがき3頁)。だから、日本の宗教に関するテキストは(日本独特の神道を中心にして)少しばかり読み続ける。もちろん専門的に深くは入り込む気持ちはなく、あくまで文庫や新書レベルでしかない。先に待っているのは積ん読状態になっている、敗戦前後にかかわる本で、いまはこれらを読むための準備というか下地をつくること。

 <武光誠 『神道 日本が誇る「仕組み」』(朝日新書、2014年)>:読む価値はなし。あるとすれば歴史の流れを表層的に図表化していること。

 <岡村道雄 『日本の歴史① 縄文の生活誌』(講談社学術文庫、2008年、初刊2002年)>:2000年に出版された約10日後にかの有名な遺跡(旧石器)捏造事件があり、2002年に改訂版刊行となり、本書はその改訂版の文庫化したものである。30年間くりかえされた捏造について、本書のあとがきに著者の思い(苦悩)が述べられている。
 本書では、それこそ「生活」を中心にして読んだ。重点は、縄文人の遊動から定住へ、そしてそこでの祭祀、である。ただし、「草木・動物から雨・風・火・水などにいたるまで、あらゆる自然物・自然現象や、人工物である道具や家・建物・水場などの施設にも精霊が宿ると考え、その威力を崇拝する「アニミズム」があった」(219頁)とする記述にはすんなりとは入り込めない。それは、前記の末木『日本宗教史』に指摘される内容に得心しているからである。すなわち、「アニミズム論にしても、そもそも一草一木に神が宿るという発想が日本にあったということ自体が、成り立たない。歴史的に知られる範囲では、神は特殊な自然物(山、岩、巨木など)に下ってきたり、蛇や狐などの特殊な動物が神、あるいは神の使いとされるのであって、あらゆる自然物がそのまま神というわけではない」(4頁)。

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