2019年5月4日土曜日

『日本精神史』と『日本風景論』

 <阿満利麿 『日本精神史 自然宗教の逆襲』(筑摩書房、2017年)>:就職したばかりの頃、和辻哲郎『日本精神史研究』を購入したが、仕事が忙しくなりかけていたこと、さらにはこちらの方が主な原因であるが、仏像や美術、和歌などの芸術的側面からの論理展開の壁が厚く-要は興味が薄く理解能力もなく-頁を進めることができず放り出してしまった。本書はサブタイトルに「自然宗教の逆襲」とあるように宗教を軸にしており、美術や彫刻や和歌などの人的創造物を媒介させておらず、もちろん思考を巡らせねばいけないのであるが、余計な廻り道をせずにストレートに入ってきた。今後も迷ったときなどに振り返るテキストである。
 本書は、「日本社会のなかで主体性をもって生きるには、やはり、どうしても『無宗教』的精神を一度徹底的に論破し、『無宗教』的精神に代わる普遍的な宗教精神と向き合う必要があるのではないか」という観点に立ち、「『無宗教的』精神を相対化し、あるいは否定して、新たな主体性の根拠を提示できる普遍的宗教」について、かつては日本に存在していたその「普遍宗教」が「普遍性を喪失してゆく過程」に力点をおいている。以上は「まえがき」より。
 「凡夫」も「普遍的宗教」もその概念はストンと腑に落ちるし、「自然宗教」からの展開にも得心する。しかし、「本願」そのものと「専修念仏」にいたるプロセスが消化不良である。否、そうではなくそのプロセスに踏みだすのに(無宗教的に)抗しているのかもしれない。なぜなら、現世は、すべてを含んで、出来不出来は別として、完成されているのであって、その出来不出来を問うても詮なきことであって、それを大きく括って大きな物語として語ろうとしてもそれは不可能なことである、という観念を抱いているからである。だからできることは自分自身がこの世をどう捉え、そのなかで自分は何者なのかという自己の思考に浸りきりしかない、そう思っている。思考のプロセスの媒介として、法然の本願や専修念仏がなぜあらねばならないのかが解っていないし、またそれを排除する論理も持ち合わせていない。本棚で横になっているテキスト類をきちんと学習せねばならない。
 本書の表紙カバーには小熊英二『<民主>と<愛国>』のそれと同場面の写真が使われている。1947(昭和22)年12月広島、天皇が壇上に立ち右手に帽子を持って掲げ、群衆が天皇を仰ぎ見ている。群衆の背後には破壊された原爆ドームがある。本書では左側後方に鳥居があるが、小熊の著書にはそれがない。阿満の天皇へのスタンスを象徴的に表しているようである。

 <志賀重昂 『新装版 日本風景論』(講談社学術文庫、2014年、初出1894年)>:明治27年から版を重ねている。著者は日本の地理学の大家であり国粋保存主義者。古典日本文学を多く引用して自然を紹介しその美を賛える。3度にわたって世界を旅しており、日本を賛美する。諸論では「要するに英国の人、その国にありては紅楓を描写するあたわざるもの、英国の秋たるなんすれぞ日本の秋と相対比するに足らんや」(14頁)と、また「・・・、シナ人、朝鮮人は『鶯花』の真面目を知覚せざるもの。欧米諸邦にいたりては、初め春に梅花なく、晩春に桜花なきところ、その春なる者、畢竟言うに足るなきのみ」(22頁)とも。梅があって桜を出せば、富士山にも論を述べ、「富士美は全世界『名山』の標準」(103頁)と言い放つ。火山の項においては、「日本は、ラボックのイギリスに艶説するところをことごとく網羅しつくして、これに加うに天地間の『大』者たる火山のいたるところに普遍するをみる。一活火山だにあるなきところにおいてすらなおかつ『全世界中の多様多変なる風景を呈出す』と艶説す、なんぞいわんや日本をや。浩々たる造化がその大工の極を日本にあつめたりと断定する、いよいよますます僭越にあらざるを確信す」(180頁)、続けて、「ああ造化の洪炉や、火山、火山岩を多々陶冶して日本人に贈賜す、これを歌頌せずこれを賛美せざるは、咄々日本人の本色にあらず」(195頁)と日本の自然とそれに向き合う日本人の芸術性に枠をはめる。「日本は山岳国なり、ゆえにこの国に生産せし民人は、平常その雄魁にしてかつ幽黯なる形容を覩目し、また風雨晦明、四時の変更万状なるを観察し、自ら山岳をもって神霊の窟宅となすの乾燥を涵養す。・・・・(諸山があげられる)・・・みな神もしくは仏を祀り、・・・・特に火山はもっとも雄魁変幻に、自然の大活力を示現するをもって・・・・・(諸山があげられる)・・・・の大権現、明神もしくは神社なるもの、みな火山をもって神仏の棲息場のごとく仮定するがゆえのみ」(270頁)と論じる。しかし、火山からこのように神仏へ論を広げるのは些か短絡的と思える。
 「この江山の洵美なる、生殖の多種なる、これ日本人の審美心を過去、現在、未来に涵養する原力たり」(337頁)から、「近年来人情醨薄、ひたすら目前の小利功に汲々とし、ついに遙遠の大事宏図を遺却し」(337頁)ている時代を歎き、だからこそ「日本風景の保護」(337頁)を強く主張した。
 1863(文久3)年に生れ、札幌農学校に学んだ著者が日清戦争のただなかに刊行された本書。文章を読むのに、また熟語を理解するのに肩が凝る。まして引用されている歌や漢文には眼は素通りする。それでも明治27年に刊行された時代は江戸の文化が薄らぎ、世界に肩を並べ追い抜かんとする勢いの中にあって、このような著作が刊行され、版を重ねたことに、明治という時代を微かにではあろうが時間できる。その意味において好著である。

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