ついでに廃棄する本を整理。この作業は今後も継続。
土曜日(28日)、息子夫婦と自宅で飲む。スパークリング・ワイン3本にビール、それに焼酎。
12/1、屋外の掃除、ほぼ1年ぶりにケルヒャー高圧洗浄機を活躍させる。
今頃になってミズノのマスクカバーが当選した。折角だから数枚購入する。少々高価ではあるけれど。
歯の被せ物が取れ、7~8年振り、否、10年振りくらいか、12/2に歯医者に行った。これでまた長期間に渡って通院することになる。
ある女性の歯科医さんは、どんないい男でも診療台に寝て口を開ければアホっぽくしか見えない、と言っていたが、この日の歯科衛生士さんはオレをどの程度アホっぽく感じたのだろうか。
<草柳大蔵 『特攻の思想 大西瀧治郎伝』(文春学藝ライブラリー、2020年/初刊1972年)>:神風特別攻撃隊の創始者である大西瀧治郎。「大死一番」が盛んに使われていた時代、その言葉も「忠死」も得心できない者にとって、大西の「特攻の思想」がどのようなものであったか、テキストに記述される内容を表面的には認識できても理解するには至らない、もちろん共感もしない。
「地上においておけばグラマンに叩かれる。空に舞いあがれば、なすところなく叩き落される。可哀想だよ。あまりにも可哀想だよ」と涙を流す大西の感情に抗する気持ちはない。しかし、それに続く「若ものをして美しく死なしめる、それが特攻なのだ。美しい死を与える、これは大慈悲というものですよ」に至っては理解の範囲を超えていて異次元の思考性としか思えない。
あの時代に生きた一人の軍人であるとして大西を否定はしない。嫌悪感を覚えるのは、特攻は実質的に「制度としての特攻」「組織としての特攻」であるのに、表面上は形ばかりの「志願制」をとり、統率する側の責任を消しさるような卑怯な環境を作り上げていたことである。現代にも相似するシステムを見つけるのは容易である。
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