2020年12月14日月曜日

積読

 購入して一度はさらっと目を通し、あとは未読のままになっている本が数百冊あり、いつかは読むと目を通せる場所に並べてあるが、読まねばならぬとの些かの強迫観念もあるにはある。それらの本はエクセル上で分類してDB化し、一冊読むごとにそのリストを眺め、次は何を読もうかと自分をある方向に向かわせることも常態化している。それでも新聞の書評や出版社の広告を見ると新たに購入する欲求を抑えられないこともある。先日もミステリーを4冊購入した(してしまった)。 
 いつのことからなのか定かではないが、本は欲しいと思うときがその本にとっては旬の時であると思っている。また、ある作家が先輩作家に次のようなことを言われたらしい、すなわち、本は欲しいと思ったらたとえ読む時間が取れないと思っても買ってしまいなさい、それらの本を欲しいと思うときは、自分が何を思っていたのか、自分を取り巻く世界に何を感じ取っていたのかを示すものだから、だから迷わず買ってしまいなさい、と。いい言葉だと思っている。 

 『朝日新聞』(2020年12月12日)に我が意を得たと共感する記事が載っていた。それらは 「主体的「積読」、足場になる」(永田希)とタイトルされた記事。引用文を繋げて次のように解釈する。 

 「少し主体的に本にかかわる方策はないか、と考え」た。その「キーワードは「積読」」である。「書物は「読まれるために在る」と同時に「保存され保管される」特質もあり」、たとえ「読まれなくても中身が変わるわけではない」。但し、積読は「「自分で積む」ことが条件で」ある。 
 「出版システムが勝手につくる「他律的な積読環境」の息苦しさに抗するには、その中に自分だけの「自律的な積読環境」をつくることが有効なのではないか」、と筆者(永田)は考えており、「「自律的な積読環境」を」、「「ビオトープ」(小さな生態系のある場所)」に例え」、それは「少しずつ手入れし、新陳代謝しつつサステイナブル(持続可能)になるイメージ」であるという。 
 「「積読」するために本を買って並べる」、「その方法は自分で決め」る。「積読の蔵書が増えてくると、パラパラめくったり、背表紙を眺めたりしているうちに、本と本の関係が見えてきたり、読んでみたいタイミングが自然に訪れたり」する。「自分の興味と時間軸でつくった本棚を足場にすれば「自己」の輪郭が見えてくる。時折点検し、興味を失った本は古書店に回すなど更新し、環境を持続させていく」。 
 「悪書に駆逐されても生き残っていく良書はある。それを探し求め」る。それには「「積読」のスキルが役に立つ」。思うに、そのスキルを身につけることが大事であって、端的に言えば、オレは何者なのだと、自分を見つめることが基軸なのであろう。

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