自分を振り返れば、ある年齢に達してから、それは勤務していた会社を定年退職して通信教育をするようになり、卒論を意識し始めた頃からなのであるが、「回想」することが多くなったと思う。切っ掛けは鉱山を取上げた卒論にあり、それは鉱山社宅に居住して日々の生活をおくっていた視座で鉱山を見ることに始まった。以来、小中学校の時代を振り返ることが今でも続いている。
たまたま最近になってネットである写真を見たことからまたもやその過去の時間に立ち戻る時間が増えてきた。以降、暫くしたらもう一つのブログ-一昨年に一度更新して昨年も2月を最後に更新しただけだが-にその「過去」について書いていこうと思う。
<末木文美士 『思想としての近代仏教』(中公選書、2017年)>:著者名も「彦」を使えずに「士」を使用したのかもしれない。それはどうでも良いことであるが、本書は「史」がついた「思想史としての近代仏教」と見誤って購入してしまった。一通りは読んだのだが、清沢満之や鈴木大拙、倉田百三、仏教辞典編纂の流れ等々には関心が薄く、かつ自分の能力という容れ物には入らない高度な内容である。それでも「日蓮思想の展開」や「今、近代仏教を問う」は姿勢を正して(?)読んだ。
<長谷川卓 『鳶 新・戻り舟同心③』(詳伝社文庫、2020年)>:昨年11月に亡くなっていた。同年の生まれであり、好きな作家だったので寂しさを感じる。本書巻末の「あとがきにかえて」で奥さんが著者の人柄や、エピソードなどを書いている。それによれば、悪性リンパ腫で亡くなったとのことである。迂闊にも一昨年に『嶽神伝風花』も出されていたことも見逃していた。本書と併せて購入し、この後に読む予定。
本書では未完に終わった作品(「第2話 犬の暮らし」も収録されている。
「戻り舟同心」で活写されている人たちに会えないかと思うと寂しい。著者の作品群を調べて未読のものがあったならそれも手に入れて長谷川卓の世界に入浸ってみよう。