2021年4月26日月曜日

『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』

 <島田裕巳 『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』(幻冬新書、2015年)>:「紘」の字を見るとイメージは戦前に繋がり、中学校時代の教師で、多分8才ほどの年齢の違いでしかない山口紘子という名前に結びつく。この「紘」の漢字は戦後になって暫くは人名に使用することは禁止されており、それは「彦」も同様であった。自分の名前は本来○彦という名前になるはずであったが、父親が役所に行ったときにその名前は拒否され、その場で変更して○克にした。そのことを小さいときから聞かされていたので、「紘」という漢字についても知っていたという次第である。ちなみに、中学や高校での同学年には政日子・俊比古がいて、彼らも「彦」をやむなく変えてしまった名前と思われる。
 「彦」は1951年から使用可となったが(旧字は今もダメ)、「紘」は1976年にOKとなった。数学の教師であった若き紘子女史の授業やその他の記憶は全くないが、「紘子」は敗戦を区切りとする時代の変化を感じさせる名前で、妙に印象深い名前となっている。
 「八紘一宇」は田中智学が日蓮信仰と皇国史観を合体させて造語し、昭和15年の閣議決定された「基本国策要領」で国家の方向性を示すスローガンとして使われ、「紘」は昭和16年から20年の間に誕生した子どもの名前に良く使われたらしい。昭和16年頃に誕生したと予想する前記の紘子女史の年齢にも符合する。ヒット曲「折鶴」の千葉紘子も戦前の生まれで世の流行りにのった命名なのであろう。脇道にそれっぱなしだが、「閣議決定」なる内閣の意志決定も今は碌でもないイメージに結びついている。
 日蓮宗(近代以前は法華宗)と皇国史観が何故に結びつくのか、理解できない。否、そもそも皇国史観、國體観念が理解できない。意味が分からないのではなく、その思想に何故に沈潜するのか囚れるのか耽るのかが分からない。2015年に、三原じゅん子議員が初代神武天皇の言葉として「八紘一宇」を持ち出し、麻生財務相が宮崎の「八紘一宇の塔」を紹介したニュースには驚き、国の行動方向を示す基礎に八紘一宇を持ち出すことに呆然とする思いであった。
 オリンピック開催を巡る迷走、もしも新型コロナの押さえ込みが出来ずに中止となれば、政治の失敗は橫に措いて、政府は日本人総懺悔とでも言いかねないと感じている、そう、失敗は家族である日本国民全員の、我々みんなの責任ですと言うんじゃないかと。

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