2024年10月26日土曜日

スコア作り、小説1冊

 好きな曲からボーカルを除去し、そこにEWIの演奏を重ねている。I.e.,プロの演奏をバッキングにして下手くそな自分の演奏をミックスさせて録音するというもの。今はもう40数曲の録音をPCに納れてある。
 今度は大好きなNorah JonesのDon't Know Whyに挑戦することにした。フィンガリング・ダイアグラムを付したスコアは昨年に作成していたが、それを見ながら改めて実際の曲を聴くとスコアへの違和感が数カ所ある。何を参照にしてそのスコアを作ったのか記憶にはなく、しかも歌詞を併記したものはなかった。歌詞を追いながら曲を聴かないと下手のままなので、まずはそのスコアをきっちりとMuseScoreで作成しようと思った。参考にするのは220円で楽譜@ELISEからDL購入したスコア。音楽誌掲載のスコアや購入したスコアが正確である保証はなく、結局は本人の歌を何度も聴きながらスコアを確認し、少なくも違和感のないようにしなければならない。で、結局は歌詞を併記した楽譜をまずは作る。次には演奏がしやすくなるように移調し、歌詞を削除して音符の下にフィンガリング(ブランク)の図を一個一個貼り付け、もう一個のスコアを作成する。更にはそれをプリントアウトしてブランクとなっているフィンガリングの図に実際の指の配置を鉛筆で書いていく。面倒だがしようがない。
 スコアはできてもその先にはジャズっぽく演奏するという難関に向き合わねばならない。数週間は要するであろうか。

 <呉勝浩 『法定占拠 爆弾2』(講談社、2024年)>:『爆弾』の第2弾。スズキタゴサクを裁く法廷を2人組の若者二人が襲い、法廷を占拠する。タゴサクも傍聴人も人質になり、離れた場所では爆弾が爆発する。前回登場した警官も捕らわれ、外では前回活躍した刑事たちが策を巡らす。結局はテロリストたちとタゴサクと女性警官たちは爆発した法廷から逃亡する。テロリストは逮捕されるが、タゴサクは行方不明。というこうとは来年あたりに「爆弾3」へと続くのではないだろうか。著者の想像力・構成力・文章力に圧倒される。

2024年10月21日月曜日

真保さんの小説、二日市保養所

 <真保裕一 『魂の歌が聞こえるか』(KADOKAWA、2024年)>:バンド音楽を核とする業界の感動のミステリー。殺人は起きない。人気が下降していて立て直しを図るアーティストと担当A&Rの葛藤と苦悩。同時に、卓れた才能と音楽性を持っているグループ/ベービーバードを世に出そうとするが彼らは顔も実名も表に出すことを拒否する。それが何故なのか、何を秘めているのか、それがこの小説のミステリーの要。グループの過去が明らかになるにつれ、彼らの苦しみ、白日のもとに晒したくない理由の輪郭が判明する。彼らの友情と善意と音楽への絡みが感動的に展開される。音楽業界のビジネスと組織のしがらみ、そこに働く主人公の音楽に向き合う真摯な態度。弁護士とグループを応援する人たち、週刊誌の嫌らしさ、いろいろ絡み合って楽しめた。
 1991年に『連鎖』を読み、それから33年間で31冊目の小説となった。

 <下川正晴 『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』(弦書房、2017年)>:敗戦後に満州/朝鮮から引き揚げる際、多くの日本女性がソ連兵から陵辱されたことは歴史的事実としてよく知られていることである。しかし、暴力的に犯された結果としての妊娠中絶/性病治療を施した施設のことは知られていない-私は知らなかった。その施設が二日市保養所であり、約1年半後に閉鎖されている。保養所という名称は皮肉っぽく滑稽であるが、そこで中心となって活動した人物が泉靖一であり、彼は後に東大教授の文化人類学者でインカ・アンデス文明研究に大きく寄与した。
 問題は、このような施設運営への政府関与、その後の歴史の中で殆ど公にされなかったことであると私は捉える。戦勝国であるソ連への配慮、妊娠中絶の違法性、当事者である彼女らへのプライバシー保護、等々いろいろな理由はあるであろうが、臭い物に蓋という隠蔽体質が根っ子にあることも大きな理由の一つであろうし、歴史修正主義的な歪んだ志向性ということも否定できないであろう。
 本書でも言及されているように、敗戦国ドイツ/ベルリンでもソ連兵によるレイプは多く発生し、多くの女性が自殺している。レイプ時は男性が身を差し出すように女性に願い、また出産した子を病院に置き去りにする例も報告されている。要は、敗戦時の悲惨さは国によらずどこでも同じであり、加害者として日本軍の行った非道も同類である。このことについて考えを巡らしても方程式を解くような正解は見つかるはずもない。もう何もかもが人類の本能であると言い放つ気分にもなってしまう。
 泉靖一が幼い女の子を胸に抱いている写真が本書の表紙にあり、本文にも載っている。彼女は昭和21年に引揚げ船のなかで生まれ、父親は母親を犯したソ連兵であること以外は分からず、白い肌と青い目をしており、母親が二日市保養所に引き取りを懇願して去ったという。女の子の表情は無垢で柔らかく、寂しそうでもあり微笑んでいるかの様でもある。彼女のその後の人生はどうだったのであろう、成長するにつれ何を知り、何を感じ取り、何を思いながらどう生きていたのであろうか。想うだけで愛(かな)しい。
 本書、本質的なところを鋭く抉り出すという点において物足りなさを覚える。この感想と裏表の関係にあるが、関係者の人物像や行動を描写することに多くの頁が割かれている。世に知られていない事があること、明らかにされていないことの事由について、全国紙に殆ど書かれていないこと、政府刊行物がないこと、福岡市の冷淡さなどを述べるが、なぜそうなっているのかについての掘り下げ、考察が浅いと思った。

 絵を描ける人、音楽的才能に恵まれている人、スポーツに抜きん出た人、彼ら彼女らに羨望感を抱くことは普通にあるが、実はその才能を羨ましく思うのではなく、それらに打ち込める姿勢にある種のジェラシーを感じているのではないかと思うことが多い。受験勉強に打ち込んだその先に何があるのか、仕事に打ち込んだことで得られるものは何か、結局は目の前にぶら下がっている日常の表層的課題に取り組んだだけではないか、何かを棄ててまで深く入り込めたものはないのではないか、と思うことがある。楽器演奏も下手くそだし、絵を描きたいと思っても技量はないし、そもそも描く対象が分からない。スポーツも全般的にそこそこできたが得意なものはない。本が好き、音楽が好き、絵を見るのも好き、酒も好き、でもなんというのか中途半端に終わっている。この年齢になってもそこに自分の無才を強く感じてしまう。でも、もしかしたら、デラシネの如く漂う時間に流されるのが無才の楽しみ方なのかもしれない。

2024年10月14日月曜日

雑記

 9日、定期的通院において3週間近く続く咳も診察してもらう。結果は薬を服用せずにこのまま流していくのが今は一番いいと言われる。それでも喉に不快感は時々あるのでその際は市販ののど飴を口の中に入れている。

 11日、ほぼ3ヶ月ぶりに北千住で飲む。今回はISaとKoYoもわざわざ会津若松から来てくれた。合計5人、会津高校1年5組の友人たちと飲むのは楽しい。3軒を梯子して解散。まだ咳が完全になくなってはいないし、病み上がりとも言えるのでいつもの五反野の店に寄るのは今回はなしとした。20時ちょっと過ぎに帰宅、最近では優等生とも言える帰宅時刻だった。
 同日、昼頃に春日部駅に向かう途中、郵便局付近の交差点横断歩道で若い女性とすれ違った。ジーパンのジッパーが半分以上開いている。一瞬教えてあげようかと思ったが躊躇いがあってそのままやり過ごした。こういう場合はさりげなく教えてあげるのがいいのかどうか分からない。ジーパンの中に入れたシャツの裾が見えていたし、それを通して下着の色のようなものも見えていた。駅から歩いてきたことを思うと電車の中でもジッパーは開いたままだったのであろうと思う。本人が気づいたときはどのような気持ちになったであろうか。

 12日、連れ合いが歯が痛いというので電話連絡をして急遽歯科医院に連れて行く。受付では早く来ていただいてありがとうございますと言われた。歯痛の原因は歯肉炎。3日くらいで痛みはなくなるでしょう、それでもまだ痛みが続くようならば再度電話をいれてくださいと言われる。親切な歯科医とスタッフであった。

 13日、結婚50周年を迎えた。人生の2/3を一緒に暮らしている。結婚記念日はいつものように特別に何をするわけでもなく、連れ合いは歯の痛みで頬を抑えている。交わした言葉はにこやかに「ご苦労様」と「お疲れ様」。この軽い会話が心地よかった。

 メシアンの音楽に惹かれた。「トゥーランガリラ交響曲」を初めて聞き、次に「世の終わりのための四重奏曲」を買い求め、魅せられてしまった。もっといろいろな曲を聴きたいと思い、衝動的に「彼方の閃光」と「前奏曲集/みどり児イエスに注ぐ20のまなざし」のCDを発注した。キリストの世界もメシアンの世界も到底理解できるとは思えないが、浸ることはことはできるかもしれない。とにかく聞きまくってみよう。

 咳の調子が落ち着いてきたのでほぼ3週間ぶりにEWIを吹く。これまた衝動的と言えるが、安価なエレキギター向けの空間エフェクターを2つ購入した。現有のマルチエフェクターを繋げればいいのかもしれないが、設定がいちいち面倒なので単機能のエフェクターで遊ぶことにした。

2024年10月13日日曜日

日記1冊、小説2冊

 <山田風太郎 『戦中派焼け跡日記』(小学館文庫、2011年/初刊2002年)>:昭和21年12ヶ月の日記、東京医学専門学校学生だった24歳の1年。映画を観、本をよく読み虚無的と言えるような1年。世の中の動きについて批判し、世間を評価し、自分を見つめている。敗戦翌年の時代を著者はこう捉えていたのか、天皇(制)についてそう考えていたんだと、新鮮な感覚も覚える。ただし、著者の考え方には共感できないところも多い。
 語彙が豊富で文章に力があるのは著者の技量であろうが、そればかりでなく戦前の国語教育の内容に思いが向く。何をしなくとも一方的に情報が流れてくる戦後の時代、他方何かを考えるときは自ら情報を求め勉強しなければならなかった時代との差異を感じる。勿論自分と同時代あるいは若い作家の著作にみる精緻な文章や語彙の豊富さはやはり凄いなと感じる。
 16歳から24歳頃までつけていた自分の日記を振り返りまとめてみようかと思う。但し、下らない記述は捨ててしまうとしても。でもそうしたら何も残らなくなるかもしれない。

 <木内昇 『惣十郞浮世始末』(中央公論新社、2024年)>:『櫛挽道守』で著者の小説に魅入られ、7年ぶりに6冊目となったこの小説は秀逸な物語。とても楽しめた542頁の江戸(浅草/八丁堀/内藤新宿など)を舞台にした長編。
 何年か後にストーリーを思い出すかもしれないように主人公惣十郎の周囲の人間を書いておく。何れも愛すべき人たち。特にお雅の人物設定に惹かれる。
 服部惣十郞:北町奉行所定町廻同心、妻の郁を3年前に病死させている、悪筆。事件の推理には優れた能力を示すが、女の機微には疎い。
 多津:惣十郎の母、穏やかな優しい人柄。
 お雅:惣十郎の下女、23歳。出戻り後に惣十郎のもとで下女として働く。料理上手、素っ気ない。大家嘉一の三女、母を毛嫌いしている。多津を慕っている。とっつきにくそうだが内面は内気で優しく、細やかな心遣いのある女性。
 佐吉:裏表がない小者-言葉を換えれば単純無垢-で服部の屋敷に住む。
 完治:岡っ引き、人間観察に卓れ、探査能力にも富む元掏摸。がたいのいい棒手振の与助はその手下。
 口鳥梨春:真面目で能力のある医師。病を治すことに専一する。
 冬羽:書肆伊八の妻、書を編む。蘭方書を発刊することに懸命となっている。魅力的な女性。
 悠木史享:郁の父。男手ひとつで郁を育てた。同心として冷遇されている。
 崎岡:惣十郎の同僚。奉行所の中では下手人の数を上げることに邁進する。家内に事情を持つが惣十郎には語らない。
 浅草で火事が起きて薬種問屋が焼け、2人の遺体が見つかる。痘瘡と種痘を巡る画策。漢方医術と蘭方医術の確執、奉行所内の人間模様、老女の認知症、金を巡る事件、親子の確執、郁の死因、等々が入り交じり最初の火事の真因が判明する。
 『櫛挽道守』で小説の楽しみを味わい、そして本書で再び至福の読書時間に浸った。まだ読んでいない作品に触れたくなった。

 <柴田哲孝 『暗殺』(幻冬舎、2024年)>:朝日新聞阪神支局の赤報隊事件、安倍晋三暗殺事件、統一教会/勝共連合、右翼フィクサー、政治家、等々の人物が陰謀を巡らし、複雑に絡み合った日本政界に潜む闇を、事実をフィクションと化して解き明かしていく。途中まで読めば全体の基本構想は容易に想像がつき、あとはそれらをミステリーとしてどう表現して行くのかという流れである。大胆な発想に基づく現実味を帯びた小説ではあるが、陳腐な趣と安手のエンターテイメント・ミステリーという感想は拭えなかった。

2024年10月2日水曜日

永井さんの小説2冊、戦後史の本2冊

 21日に体調を崩して10日。まだ咳き込むことはあるが大分良くなってきた。7日分を処方されたデキストロメトルファンは睡魔が襲ってくるので止めた。もうひとつのモンテルカストは頻尿、喉の渇きの副作用が酷く前者よりも数日早く服用を止めた。あと1週間もすれば咳は治まるだろう。
 禁酒していて間食もなく、2kg強の体重減となった。いずれ戻るであろうが。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎 三』(コスミック・時代文庫、2023年)>:昨年刊行されていたことを失念していた。

 <福井紳一 『戦後史をよみなおす 駿台予備学校「戦後日本史」講義録』(講談社、2011年)>:昭和24年生れの自分にとっては少しだけ年代が先に走っている同時代史で、自分が生きてきた時代を振り返りながら目を通すといったところ。概説と言った感が強く、新たに気付かされたという点はない。

 <井上寿一 『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(講談社現代新書、2017年)>:期待外れ。幣原の意図するところは立派だったかもしれないが、個々の発言者個人の意見を縷々述べているだけ。1年足らずでGHQによって廃止されただけに中途半端。著者もこここで何を主張したいのか分からない。冷たく言えば、敗戦直後にこういう活動があったがまとめることもなく消滅した、という紹介だけかと。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎 四』(コスミック・時代文庫、2024年)>:6月に刊行された最新シリーズ。永井さんの江戸時代小説は気軽に楽しめる。

 <中村政則 『戦後史』(岩波新書、2005年)>:こちらも自分の同時代史と言ったところであるが、歴史をどう捉えるかという観点では再認識させられる。箴言をメモしておく。
 「すべての歴史は現代史である」、「Trans-war history」、「政治意識の基礎には歴史意識がある」、「歴史意識とは自己認識であり、われわれは、どこから来て、今どこにいて、これからどこへ向かうか、を知ろうとする意識である」、「その国の文化的成熟度は、その国民にどれだけ自己批判能力が備わっているか否かにある」、等々。