ドジャースとヤンキースのWSはドジャースの優勝で幕を閉じた。両チームの選手の名は知っているけれど日本シリーズに臨む選手たちの名は殆ど知らない。WSの放送は見るが日本シリーズは全く見ない。
スポーツ・ゲームはミスをしなければ負けない(ミスをした方が負ける)とは良く言われることであるが、WSの最終戦はヤンキースの度重なるミスの間隙を攻めてドジャースが勝った。ジャッジのエラー、ショートの悪送球、ピッチャーがカバーに入らない、打撃妨害、牽制3回失敗ボーク、いろいろと面白かった。
<東郷和彦 『北方領土交渉秘録 失われた五度の機会』(新潮文庫、2011年/初刊2007年>:本文に一通り目を通し、「あっそう」という軽い気持ちにしかならないなか、佐藤優の解説は丁寧に読んだ。それはロシア(ソ連)という国の容貌を少しでも深く知ることができるからである。
北方領土というといくつかの事柄を思い出す。最初は鈴木宗男で、昔、『朝まで生テレビ!』を必ず見ていた時期に彼が登場したときがあって、甲高い声で鶏のようによく声を出している次元の低い代議士だという印象を抱いたこと。そして同じく『朝まで生テレビ!』で松田九郎が途中から出てきて、酔っ払っているのか阿呆なのか呆れ返ったことがあり、さすが鈴木の盟友だと妙に得心できた。松田は長崎を選挙区とする代議士で、長崎というと直近では谷川弥一を思いだし、特異な代議士が出てくる地域ではあると今も感じている。
北方領土返還を求めて春日部駅前で街宣車から聞こえてくる演説も思い出す。遇々駅に歩を進めているときに同年代の男性が妙に昂揚してパンフを配っていてこちらにも声をかけてきた。「本当に北方領土が返還されると思っているんですか?」と訊ねたら、その人は気弱な表情をして目をそらして違う人のところに行った。領土問題は武力戦争でしか解決しないと思っていたので、芸能人がパフォーマンスで北方領土返還を訴えても滑稽でしかなかった。基本的には今もその思いはさほど崩れてはいない。
ヤルタの密約とソ連の侵攻、ダレスの恫喝、大東亜戦争/太平洋戦争における戦争責任と米国による翻弄等々、歴史は不可解。否、人間社会は不可解。
<井上先斗 『イッツ・ダ・ボム』(文藝春秋、2024年)>:バンクシーは知っている。グラフィティやボムは知らない。スロー・アップやタグも勿論はじめて目にする用語で、Wikipediaでその言葉を確認しながらページを進めた。公共物あるいは私的なシャッターやカベに描く迷惑な落書きに、それらを描く人たちの思いや芸術性には思いを馳せることもなかった。逆に言えば初めて知ることになる人たちに新鮮味も感じた。が、この小説には描く人たちの内面の深耕はなく、描くことの意味は表層的で衝動的であり、ああ、こういう表現行動をする人たちもいるのだと教えてもらったという感が強い。読み終えれば何も残らない。
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