2018年5月15日火曜日

バッタを倒しに行った新書

 <前野ウルド浩太郎 『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書、2017年)>:昨年の7月に何かの記事でこの新書が賞賛されており衝動買いしたのだが(このパターンはいつものこと)、他の優先度の高い(単に興味がより強い)本に手を伸ばしていてこれは放っておいた(今も寐させている未読の本は400冊以上もある)。で、そろそろ読んでみるかと引っ張り出したが、面白かった。バッタが及ぼす被害の程度は本書からは深く知り得ないのだけれど、バッタに入れ込んでいる情熱、ポスドク打開のための論文執筆への焦りにも似た思い、けれども明るく冷静にバッタを愛して追いかけていく。楽しく読めた。フランス語が話せない本人と英語が話せない現地雇い人との会話のコツは面白くて参考になる。一つは秋田弁の会話に伴う短い会話のテクニック(秋田生まれの自分は秋田弁に疎いが理解は出来る)。乏しい単語に複数の意味を持たせて他のメインとなる単語に繋げる。補うのはジェスチャー。意思疎通の基本であろう。舞台の殆どはアフリカ。アラブ世界に属する馴染みの薄いモーリタニアであるが、スーパーに行けばモーリタニア産のタコは日常的である。
 何かを好きになってそれに入れ込んでしまい、人生の根幹を築いている人の存在は、現代社会では稀少化しつつある。簡単に言えば、選んだ仕事に「好き」という感情を入れ込まず、失敗も脳内を右から左にスルーさせ、眼前の取り組んでいるものに「ムキ」になる人が少なくなったという感じがする。サラリーマンだったころ、ある時期から新人を見るとそう感じ始めた。組織の中で上司の指示にただ忠実になり、嘘偽りもその上司への精神的なれあいのように見える事象が多い。個人の誇りなんてものは打遣ってしまい、上にすり寄って我が身の保身を優先させる。こんな姿はいまの政治に腐るほど観察できる。「慣れよ狎れるな」の箴言はどこにいってしまったのだろう。
 閑話休題。著者は変人の部類に入る。しかし、その変人の情熱や素直さを賞賛するのは、その姿にそうありたい我が身を投影しているからであろう。自分とても過去を振り返ればそうしたかった、そうあるべきだった、学習すべきだったとの後悔はある。

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