2018年5月19日土曜日

眼科医院と小説と新書

 人間ドックの結果が送られてきて、いろいろ指摘があることは毎度のこと。あらたに追加された要注意・要観察の項目があり、まずは一番気になった「右目黄斑部変化」の検査を受けようと、近くにある大きな眼科専門医院に行った。3箇所で検査を受け、医師の診断を2回受け、結果は「本の少しの変化が人間ドックで指摘されたのでしょう。治療の必要はなく、半年後にまた看てみましょう」とのこと。男性医師は画像を見せながらの分かりやすい説明で、マスクをかけた検査助手の女性はルーチンワークの中にも声が優しくて眼が素敵な、背の高いはっとするほどの美人だった。

 <柚月裕子 『朽ちないサクラ』(徳間文庫、2018年)>:この小説は次の事件からヒントを得ている。すなわち、①ストーカー事件の被害届受理を先延ばしにしてその間に慰安旅行に行っていた千葉県警習志野署。②オウム真理教から派生したアレフ。
 事件は著者が居住する山形県であろうと思われる米崎県米崎市。ストーカー被害届けの受理が故意に先延ばしにされ、管轄地方警察の担当部署が慰安旅行に行き、受理二日後に女子大生が殺される。その慰安旅行と被害届引き延ばしが地元米崎新聞の特ダネになってしまう。米崎新聞の記者と県警広報の女性(泉)が親友であり、特ダネ記事をめぐって二人の間に亀裂が入り、新聞記者の方は殺され、さらに記者の遺体が発見された地で続けて殺人事件が起き、当初は自殺と扱われる。殺人犯を追う泉と地方警察の友人、広報の課長と刑事課の課長が中心となって殺人者を追う。過去の殺人事件をを解明する刑事課と、未来の事件を食い止める公安の確執が入り組んでくる。書名の「サクラ」は公安を意味する。
 事件を解きほぐす過程が進むにつれて徐々につまらなくなってきた。なぜかと言えば主人公たちの捜査がうまく進み、そこに絡む公安の影が予定調和的に想像でき、終わりになって広報課長(元公安)の動きに落ちをつけてしまうだろうと予想したらその通りになった。消化不良(よく言えば余韻)の感があり、生煮えの印象が残った。

 <吉田一彦 『『日本書紀』の呪縛』(集英社新書、2016年)>:1500年ほど前に編纂され記定された「過去」の枠組みは強固にいまも築かれている。天皇の正当性を明らかにし、権力を固めるものであった(ある)ことは紛れもないことであり、時を経た明治政府発足にても天皇の権力と正当性を確立するには『日本書紀』に視座を置くしかなかった。矛盾の生じないためには復古するしかなかったことで、それは容易に分かることである。明治以降「國體」を支える「国史」としての書物であったゆえに、歴史を見つめるための対象とはならず、言ってみれば時の政府を「忖度」する上での拠り所にとされたと解釈してもいいだろう。『日本書紀』は、「事実に基づくとは認められない創作による記述が多」く、「政権中枢部の権力者たちの思想を表現した書物」であって、「過去を規定するが、それだけではなく、それによって現在や未来をも規定した」。「『日本書紀』が過去を縛るとともに未来を縛ってきた」ことが本書のタイトルにある「呪縛」である。絶対化するものではなく、相対化することが重要で、さらに言うならば、相対化できない今を(否定ではなく)批判的に見つめるべきである。そして事実を共通認識することが必要とは思うのだが、現実をみれば無理だろうと思う気持ちもある。
 あとがきの文章を借りて自分自身を思えば、それは「本、あるいは文字で記されたものに刻まれた知の枠組を探求」し、自分の生きている現在の「時代の文化や社会を考え、そこから」自分自身の「日本の歴史」を読み解きたい、少しでも確実なものに近づけたい。

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