2021年3月22日月曜日

NEO iDSD、本1冊

 60年代のポップスや、オーディオ機器に夢中になってしまい、読書が疏かになった。
 ボーカルのジャズは殆ど聞かないが、たまたまNorah Jonesの「come away with me」を購入しようとし、スタンダードのCDにしようか、ハイレゾの方にしようか迷ったが、結局はハイレゾ(MQA)のCDにした。ハイレゾ対応のDACは持っているが、MQA対応のDACやCDプレイヤーはない。実際のところMQAの言葉は耳にしたことはあるが、どういうものなのか知らなかった。それでMQAについて調べ、MQA対応の機器をいろいろ調べた。中国製のDACは手に届く価格で魅力的ではあるがスペックを見るとMQAはUSBでしか対応していない。それではつまらない。MQA対応のCDプレイヤーも見当たらない。
 現在保有しているCDプレイヤーと接続ができ、少し無理しても手の届く価格で、MQAフルデコーダーのDACがあれば、現在のシステム構成に割り込みができていい、と探してみたら、あった。昨年12月下旬に発売になったifi audio NEO iDSD。これ以上のものは見当たらない。現在のシステムL/Oに本機を追加してL/Oを引き直し、OKと断を下して発注。
 到着後すぐに配線をし、前記のMQA CDを鳴らしバランス・ヘッドホンで聴いた。素晴らしい。バランス・ヘッドホン対応機器はこれで3台目になって勿体ないとは思うものの、魅せられた気持ちは変わらない。バランス出力でのスピーカーはまだ鳴らしておらず、それはXLR-RCAケーブルの到着待ちだし、必要なPC環境もまだ整っていない。すべての設定が完了するまでの作業が、そして音出しが楽しみである。

 <酒井順子 『処女の道程』(新潮社、2021年)>:書名を目にしたとき、瞬時「おとめの道程」か「しょじょの道程」かどっちなのかと思い、後者を口に出せば「処女と童貞」と聞き間違えるかもと頭をよぎった。そして、帯の、「処女の価値」は日本の鏡、という惹句を見ては歴史書の類かもと捉え、これは早とちりとも言えそうだが、それは著者の名も知らずにいたせいでもある。
 出典を明示して世の中が「処女」や「純潔」や「婚前交渉」などをどう捉え、男と女が性交に対してどう向き合い、「して」いたのか、面白く読んだ。やはり関心があるのは明治に入ってからの状況であり、政府の動きとともに著名文化人の発言である。平塚らいてうは知ってはいても、彼女の非処女説に激高し、「私の貞操は趣味である、信仰である、潔癖である」と放っていた与謝野晶子については、へぇっそうなんだと新発見をした思いになり、横光利一が「女の人の貞操観念の強いということは、日本の宝ですね。これ以上の国宝はないですよ」と歓喜するに至っては笑ってしまう。・・などなど色々な発言が紹介されていて面白いのだが、著者が結論めいて世相を断じるのは少々演繹的である。
 明治から昭和前期にかけての日本が敷いた軌道はあっちこっち枕木が腐っていたり、レールを固定する釘が粗末であったり、その軌道の上を走る列車も中古のトロッコの様でもあり、乗っていた乗客はひたすら我慢するしかなく、我慢が限界に来て抗えば放り出された。そんな時代に最も興味があり、「処女」がどう管理されようとしていたのか、その切り口でみることができる。しかし、「処女」や「純潔」や「貞操」などを真面目に論じている”管理したがる人々”にはやはり笑ってしまう。

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