本書には付録として前記の小説「天保糞尿伝」が編まれており、23年振りに読んで楽しめた。前回と同様に屎尿の臭いが漂ってくるような錯覚に陥る。
<キャロル・ブラック 『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義-学生との対話-』(講談社現代新書、2019年)>:「特別講義」という語句から、大きな教室で多くの学生を相手に講義した印象を持っていたが、実際は全4回の各回11~14人と少人数の20~30代の学生との対話。学生たちの育った場所は多様であり、彼らは戦争、或は日本の戦争状況をよく学習している。
過去にあった戦争は何らかの記憶(記録を含む)に依って現代に解釈されていて、その記憶のあり方、分類・分析が勉強になる。その記憶は人間によって作られた(る)ものであることを忘れてはいけないし、歴史に向き合うことはその記憶に向き合うことでもある。それらの記憶が正しさを装っていても、大事なことは、事実を感知・理解する能力(あるいは感性)であり、そして想像力を働かすことである、と思っている。
<田中克彦 『ことばは国家を超える-日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義』(ちくま親書、2021年)>:「ことば」と「国家」の言葉に惹かれて手に取ったが、国家が言葉をどう管理し制御したのか、しようとしているのかについて書かれている本、というアホみたいな勝手な思い込みからはほど遠い内容であった。読んだというよりも頁を捲って流し読みしたに過ぎない。例外的に、中国とロシアに分断されているモンゴル民族に関して述べられている第5章の一部には関心を向けた。
著者の思い出や他者への批判(避難)も多く、発散気味だし、そもそも言語学そのものに興味がなく、書かれている用語や内容も理解できないし、しようとも思わなかった。
関東大学ラグビー、早稲田の2戦目は日体大。結果は96(14T13G)-0。モニターで見る風景に記憶があり、5年前に上柚木に行ったことを思い出した。
今回印象的だったのはノーサイドとなっても選手たちの表情は緩むことがなく、結構厳しかったこと。早稲田スポーツの記事を読むと、この試合のテーマは「アキュラシー」で正確度や精度をうたっていたが、そこに課題があったとのこと。その内容は、大田尾監督の言葉、「分析ではもう少し余裕を持って回せるかと思っていたのですが、そのようなディフェンスにプレッシャーを受けた部分がありました。非常に勉強になった試合だと思います」に表れている。
観ていて楽しめた試合であった。後半の後半では日体大の緊張の糸が切れてしまったような印象も受けた。前回立教戦での吉村のプレースキックを酷評したが、今回は難しい位置からの成功も多く、前回の非難はゴメンナサイと謝る。
翌日の慶応vs筑波戦は(いつもそうだが)筑波の勝利を願った。僅差での結果を予想していたが結果は34-12と筑波の快勝といってもいいだろう。全体的に雑なプレーが多い。筑波のゴール前でのディフェンスは立派、逆に言えば慶応の攻撃が物足りない。
関東リーグ戦も開幕し、法政が専修に勝利。あとでじっくりとオンデマンドを見よう。
関西リーグでは19日初戦で天理が近大に負けた。オンデマンドで試合を観て、天理に昨季の力強さは皆無。昨年のメンバーがごっそり脱けてしまい、低レベルの試合運びだった。
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