2023年9月29日金曜日

エアコンクリーニング、EWI、文庫本

 リビングのエアコンの掃除を結構丁寧に行ったが、2日後になってまだ黒っぽい汚れが吹き出されることが気になり、二度目の清掃を行った。
 送風ファンのフィンの汚れが原因と思い、今回は前回よりも分解箇所を多くした。本来はファンも取り外したいのだが、少し無理な作業が必要となり、誤作業回避のためにそれは諦めて外装カバーを取り外すに止め、ファンを極力露出させて強力なスティームクリーナーでしつこく清掃した。ファンを取り外せれば簡単に清掃できるのだが、取付けたままではなかなか面倒で時間を要した。約3時間強の作業。これで汚れが外に出るのならもうその状態に付き合っていくしかないと覚悟した。結果、汚れが吹き出されることはなくなった。ファンへの10数年間の汚れは半端じゃなかったが、分解-清掃が好きなので、汚れをクリーニングする過程は楽しめる。作業終了後のシャワーとビールが心地よかったのはいうまでもない。

 AKAI EWIではじめて宅録をした。録音をするという行為に緊張感があるのか、たかが3分程度の演奏でも途中で運指を間違ったりして何度も録音することとなった。テークを重ねまあ良かろうと思う演奏の録音を聞くと自分のレベルの低さを思い知ることとなる。
 カラオケや楽譜は相当数準備してあるので、今後演奏曲を増やすことにし録音ファイルをPCに保存するのが当面の目的である。
 EWIでのサウンド選択、マルチエフェクターでのプリセット選択/セッティングなどまたもやのめり込むこととなろう。

 <宮嶋勲 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(日経ビジネス人文庫、2018年/初刊2015年)>:ここに描かれているイタリア人の生活様式には到底馴染めないし、もし加わったとしたら強いストレスを感じることになるであろう。順番に物事を準備して行動すること、一度に複数のことを処理する、時間を守る、等々ができない(しない)彼等の環境にはとてもじゃないが身を浸したくはない。
 イタリアへのパック旅行を通して思い出すのは、楽しいことも沢山あったが、最初に浮かぶのはカプリ島でケーブルカーを待つ間の若者たちの賑やかなことうるさいこと、レストランでのスタッフの雑な接客等々。

2023年9月23日土曜日

雑記、文庫本2冊

 BM(Big Motor)が連日ニュースサイトに出ている。BM、思い出すのはベンチマーク、某企業に勤めていた頃はBMと称していた。基準点・水準点としての反語的な意味合いでBig MotorはベンチマークのBMとして活用できるかも。

 ジャニーズ。BBCが問題にして世界に発信してから日本国内でニュースになる。いろんな意味での日本の文化を思い知る。端的な言い方をすると、日本という組織の集団浅慮というものなのであろう。
 相似的な事象は幾らでも見つけることが出来る。

 Bloggerでブログを作っているが、突如ヘッダー画像が表示されなくなった。二つのブログの一つだけに不具合が出て、現象はPCには無関係に出る。正常なものと不具合がでるものを比較し、不具合のある箇所は解明した。が、それが何故なのかは分からない。正常な方のヘッダー画像URLを貼り付けると画像は表示されるが、表示画像をPCからアップロードすると不具合が繰り返され、結局は画像変更ができない。ということで二つのブログのヘッダー画像を同じものとするしか今は方法がない。どうも不具合はBloggerとGoogleそのものにあるようなのだが解決手段が分からない。

 <森達也 『虐殺のスイッチ』(ちくま文庫、2023年/初刊2018年加筆修正)>:主題は「なぜ人は優しいままで人を大量に殺せるのか」、そして、「凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺せるのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ」、そう思う。残虐性は誰もが内在させて普通は表に出ないだけである。
 「記憶する力が絶望的なほどに弱」く、「むしろ忌避して」いて、「過去に自分たちがアジアに対して加害した歴史を躍起になって否定しようと」し、関東大震災の時の朝鮮人虐殺(間違えられた日本人も含む)に対して虐殺した記録がないと虚言を口にする政治家。匿名でねじ曲がった正義を主張し、「私」ではなく「我々」を主語にする人たち。そういった中で自分はどうあるべきかと考えるしかない現実はやはり絶望的な状況である。勤めていたときにも何度か感じた、組織化=集団化すると、人は思考停止=集団浅慮に陥り、個を喪失してしまう。愚か。

 <奥野克巳 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(新潮文庫、2023/初刊2018年)>:ボルネオに居住する狩猟採集民プナン。当所原始社会の中でいわゆる文明の利器もない暮らしをする民と予想していたが、そんなことはない学校がある(行かない)、車もある(免許はない)、スマホもある(エロ動画を見る)。しかし、反省や謝罪、負債の概念がない。自然のなかで存在をそのままに受容し生きている。こういう世界があることに驚く。何が幸福か、幸福とは何か、なんて思いを巡らすこと自体がないのであろう。翻って現代社会に目を向けるとなにもかもも意味をなさない、価値のない、人間の愚かな行動だとも思える。

2023年9月17日日曜日

エアコンの故障、隣家の親切、待つことの状況

 2F自室のエアコンが故障した。機能稼働を示すLED表示が異常になり、電源プラグの取り外し取り付けを行っても変化なく、冷房もできず送風機になってしまう。18年前に購入設置したものだからよくぞここまで使い続けたものだと思うのが正常な感覚であろう。

 故障(10日)の翌日量販店2店をまわり新規エアコンを検討し、購入を決めた。工事は2日後。
 ところが工事担当者が来て室外機の場所を確認したら、梯子が適正な角度で立てることができないので作業が出来ないという。安全上梯子の設置角度が決められているらしい。隣家の庭にあるものを移動してもらい、立ち入りの許可を取るように求められた。その隣家とは家の前で顔を合わせれば挨拶をする程度で付き合いはない。ましてお願いすることは庭にあるものをこちらの都合で移動してもらうこと、隣家にとってはただただ迷惑なことでしかない。ましてそのモノというのが、自転車・物入れ・自動車タイヤであり、単にちょっとしたモノを脇にどければいいという事ではない。
 販売店ではエアコンの室外機・室内機の設置状況を写真で確認しているのに、かなり落胆した。隣家が対応してくれない場合の手段も検討した。

 18時半頃に隣家駐車場に車があることを確認してチャイムを鳴らした。奥さん-30歳代半ばヵ-に事情を話すとこちらの気持ちを汲んでくれた。重いので私には無理なので旦那さんにやってもらうが、今日は帰宅が遅くなるけど早いほうがいいですよね、と親切だった。電話番号を書いたメモを手渡し、勝手なことをお願いして申し訳ないと繰り返した。
 21時にスマホが鳴り、隣家の奥さんが対処したのでこれでいいのか確認してくださいとおっしゃる。早いほうがいいと思って帰宅した旦那さんにすぐにやってもらったとのこと。こんなにも早く、きちんと対応してくださり恐縮するばかりだった。ただただ感謝、感謝。夫婦関係が良くなければこうも円滑にことは進まないであろうと思い尚更に有り難さを感じた。

 翌日、購入した量販店に電話するも、購入時に担当した店長は休暇で、代わりの担当者は電話に出ず、折り返しの電話も来ず、しようがないので前日の工事担当者に連絡を入れ相談した。こちらの事情を理解してくれ、店の方にも連絡を入れてくださるとのこと。時間が経ってから販売店から連絡が入ったが、工事は16日になってしまうとのこと。ここで久しぶりに怒りを覚えた。そもそも購入時には販売担当者にエアコン設置場所の室内・室外写真を見せている、なのに工事当日に工事できないとは何事か云云とかなりきつい言葉を言った。電話を聞いていた連れ合いが、久々にストレス発散ができたでしょうというほどに激しかったと思う。そして勤めていた頃の理不尽(出鱈目)な関係部署担当者に怒りまくった頃のことを思い出した。
 上司に代わったのであろう、その人から連絡が来て翌日の対応をするとのことで了承した-最初からちゃんと対応しろよと言いたくもなる-。
 
 工事やり直しの当日、前回と同じ担当者が来て話しを聞くと、彼は販売部門(売り子と呼んでいた)に、こちら(私)の事情を考慮して多少無理でも対応してあげるべきだと伝え、結果自分に回ってきたとおっしゃっていた。
 隣家と工事担当者に感謝、感謝で14日に工事完了。とても丁寧でテキパキした仕事をする人だった。工事が終了したその夕方に隣家の玄関に立った。最初はお礼の品を受け取ってもらえず後ずさりされたが、その分こっちが前に進んで受け取ってもらった。隣家の奥さん(と旦那さん)、および工事をしてくださった担当者の方の親切に深く感謝し、いい人に巡り会えたことの幸福感も味わえた。

 10日から13日まで、エアコンが働かない自室では眠ることができないため、別室のエアコンがきく部屋に車中泊用のマットを敷き、いつもとは異なる枕で眠りに就くが、腰は痛くなるし、満足に眠ることができない。酔えばいいかとアルコールを入れる時もあったが効なく、4日間は不快な夜が続いた。エアコンが新規になり、いつものベッドで眠れるようになった時は安堵感を覚えた。

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 ここから「待つ」ことにフォーカシングしてみる。
 工事担当者からの工事開始時間の連絡を待つ。隣家へのお願いをするために隣家の帰宅を待つ。隣家の対応(ものの移動)の結果を待つ。販売店に電話を入れるも担当者が電話に出るまで長いこと待つ。折り返しの電話をさらに長時間待つ。工事日程再確認の連絡を待つ。工事再開の開始時間の連絡を待つ。工事が終了するまで3時間半ほど待つ。隣家にお礼をするために帰宅を待つ。・・2日間、「待つ」という状況が重なった。
 せっかちな自分を知っているつもりだったが、せっかちであることは苛立つこに繋がることを、自戒をこめて強く感じた。特に自分ではどうすることも出来ず、ただただ結果を待つことは苦しいし苛立つ。自分の性格を改めて見直すことにもなった。自分ではどうすることもできないこと、つまり過ぎたことも他人も、変えることは出来ない、時間の経過も止められない。できることは自分を見つめて自分を変えることしかできない。改めて自分の嫌な性格を思い知った。

2023年9月12日火曜日

ラグビーなど

 大学ラグビーのシーズン到来とともにフランスでのワールドカップも開幕となり、暫くは観戦を楽しむこととなる。いつものようにJSportsのオンデマンドも再開した。
 早稲田と立教戦。早稲田はすっきりしない戦い方。SH宮尾が夏合宿の練習試合も含めてずっと登場していない。故障でもしたのか。
 日本とチリ戦。快勝。次戦以降の戦い方で真価が分かるであろう。

 読んだ本がたまってきたのでいつもの業者に買い取ってもらった。予想よりも高く引き取ってもらった。

 <渡辺京二 『幻のえにし 渡辺京二発言集』(弦書房、2020年)>:他著でかつて読んだ内容が重なる。

 <渡辺京二 『肩書きのない人生 渡辺京二発言集 2』(弦書房、2021年)>:石牟礼道子、三島由紀夫に対する著者の捉え方、思いなどに関しては初めて知ることがあった。三島由紀夫の自死について、解釈することではなく受容することだとする態度に新鮮な思いがした。何事も受容し、そして自分自身の中で考え、何事も起こりうるこの世界を自分の中で捉える、ということ、そう思う。もちろん考えることの基礎を強固にする学びは常に行わなければならない。

 <ブラッドベリ 『『華氏451度』を漫画で読む』(いそっぷ社、2023年)>:多くの事象、社会を暗喩している。中国における香港を透かしてみることも出来るし、関東大震災の朝鮮人殺害に対する政府の対応を見ることも、正義を振りかざす人間も、失敗をなきものとする企業における会社人も、辺野古に反対する沖縄と唯一の解決策と主張する政府関係者も、人間社会のいろいろなことをこの本は描いている。 日本語の「漫画」という言葉からイメージではなく、アメリカの「コミック」である。圧縮され、要約された吹き出しの中の文章を読むよりはやはり文字だけの本で読むべきである。描かれた絵が吹き出しの言葉を補完しているとは思わない。

2023年9月11日月曜日

FIBAバスケットボール、勝目梓

 FIBAバスケットボールワールドカップの2戦(vsベネズエラ・カーボベルデ)テレビ観戦した。フィンランド戦は録画のミスによりハイライトしか観られなかった。バスケットボールの観戦は初めてのことであり、これほどに楽しめるものとは思いもしなかった。
 バスケットボールは高校の体育の時間以外には行ったことはない。何しろスタミナがなくて動くことが苦手で、ソフトボール(野球)はファーストの守備につき(肩が強かったので時々はピッチャーか外野)、サッカーはゴールキーパーが定位置。トラックを走れば、お前のランニングフォームはとてもいいがスタミナがなさ過ぎると教師に言われる始末で、動き回るバスケットボールは嫌いだった。高校一年になりたての体育の時間に友人のKoYoが上手だと思ったことが今も記憶している。60歳を過ぎてからハーフやフルのマラソンにはまったとき、そのKoYoが、お前が走るなんてとても信じられないと言っていたほどに、スタミナが求められるスポーツは好きではなかった。とは言っても中学時代はバレーボールのアタッカーだったし、30年ほど前にはテニスにはまっていた。
 FIBAに戻ると、スピード感、連続するゲーム運び、シュートの上手さ、ただただ楽しめた。各選手のパフォーマンスに感動し、勝利に感激した。

 <勝目梓 『秘事』(光文社、2013年)>:以前に勝目梓の官能バイオレンスと謳われた小説を文庫本で随分と読んだ。久しぶりに読んでみようかなと思い、古本を2冊購入した。
 読書の記録を振り返ると、1982年から40年以上に渡る読書記録を振り返ると、1982年~2016年の間に37冊も(!)読んでいた。最初に読んだものは『わが胸に冥き海あり』だった。当然であろうが内容は全く覚えていない。
 本書は3人の日記に書かれた性的日常を描いて物語を展開する構造をとる。登場人物は、バイセクシャルの女性(A)、レズビアンの女性(B)、家具職人の男(C)の3人。AとBは愛し合い、AとCは結婚をし、男子出産の後でAは亡くなってしまう。その後BとCは結婚をする。年齢を重ねたせいなのか官能描写に(若い頃とは違って)気持ち(欲望)が昂ることはなかった。ただ、不遜な言い方だが、作者は文章表現がうまいとは思った。

 <勝目梓 『異端者』(文藝春秋、2016年)>:寡婦となった母親から思春期の性欲を処理してもらい、そのことが主人公の罪悪感となっている。初めての性の交わりは男性。70歳を越すまでデザイナーの女との互いの自由奔放な情交を受容する。その女はいわゆる両刀使い。主人公とても他人の前でも交わる。・・・とまあ何でもありの性交描写に文学の香りをまぶし、倦きてしまう著者晩年の官能小説。300冊を超える作品の、枯れ木も山の賑わい、といったところか。

2023年9月3日日曜日

心臓エコー

 5年ぶりに心臓のエコー診察を受けた。特にどこか具合が良くないと言うことではなく、前回の検査から5年経過したので受けてみた。血液が流れ出すところ(S状の部位ヵ)が少し狭くなっており血圧に注意しておきましょうとの医師の言葉。前回はS状中核と診断されたからおそらく同じ箇所であろう。特にどうするとかはなく、高血圧に注意を払い、今後も定期的に検査をしていけばいいだろう。
 2週間ほど前に採血した血液検査の結果も出た。中性脂肪は標準値範囲の中にあり、総コレステロールが少しだけ基準値からはみ出している。あとはすべて基準の範囲内。酒好きで若いときもよく飲んでいたが、肝機能に異常値がでたことは過去一度もない。自分自身の身体だけれどこれだけは妙に感心してしまう。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎 ニ』(コスミック・時代文庫、2023年)>:北町奉行所隠密廻り同心大沢靱負(ゆきえ)、主人公の関宿藩士篠田虎之助、その友人で同じ道場に通う原牧之進。大沢と篠田が変装をする田中屋は猪之吉とお谷が営んでいる。新しい登場人物はお蘭16歳、薙刀と鎖鎌を使う。彼等が事件の謎を解く。お蘭のキャラがまだ描き出されていないのは次巻以降への含みであろう。

 <永井義男 『ご隠居同心』(角川文庫、2023年)>:コスミック文庫のシリーズを引っ張り出して「大ヒット「秘剣の名医」の著者、新シリーズ」と帯に謳い、角川文庫としては初めての永井義男の本。つまり、他社でのヒットシリーズにあやかって企画出版されたものである。元同心(といっても内勤)で、長屋で隠居生活を送る重行が、身近におきた謎を解き、あるいは身請けされた花魁の脱出を手助けし、現役の頃には味わえなかった外廻り役人と市井の生活をエンジョイする。小さな出来事をつなぎ合わせた一冊という感覚がある。

 <井戸川射子 『この世の喜びよ』(文藝春秋3月号、2023年)>:前回の第168回芥川賞受賞作の一つ。文藝春秋が書店に並んですぐに買ったのだけれど、どうもこの小節の二人称語りというのに馴染めなく、放っておいた。「純文学の王道ともいうべき身辺雑記を独自の光学で描いたもの」(島田雅彦)と評されるが、「出来事らしい出来事も起こらない。常同的な人物、常同的場所、常同的な日々」(松浦寿輝)を自己肯定的に描く二人称語りがこの世のものではないような感じもして、何が何故に喜ばしいのか理解力(読書力)が及ばなかった。ある種の、自分自身の振り返り、客観視、自意識過剰ともいえこの小説に壁を感じた。