2017年3月27日月曜日

本4冊

 <岩木一麻 『がん消滅の罠 完全寛解の謎』(宝島社、2017年)>:「辛口の選考委員たちが口をそろえて絶賛」(帯の惹句)の「このミス大賞」受賞作であるが、楽しめなかった。書名そのままのミステリーで、ストーリー構成上不可欠な医学用語の説明が冗長で退屈してしまう。登場人物にも魅力はなく、硬質な描写である。ミステリーとしてのパズルを嵌め込むことが主体にあって、パズルを嵌め込む過程の情景というか面白さというのが薄いと感じた。

 <『歴史読本』編集部編 『歴史の中の遊女・被差別民』(新人物文庫、2011年)>:2006年『別冊歴史読本 歴史の中の遊女・被差別民 謎と真相』の再編集で、多くの人が発言or書いたものである。そのためか、全編を括るとこの本は何にフォーカスを当てているのか、散漫になっている。参考文献も示されず、講演にありがちな余計な、横道にそれた、内容の浅い記述も多い。雑談向けの知識は得られる。

 <中山英一 『被差別部落の暮らしから』(朝日文庫、2014年)>:「もの心がつくころから、すさまじい偏見、差別の攻撃を受け、呻吟の淵で彷徨を余儀なくされていた」(314頁)著者の実人生に基づいており、「被差別部落」における差別の実態が重い。生れた地の部落は、部落外の人たちからは離れ、与えられた名字は部落とわかる名であり、学校に通えば差別され、もちろん部落の地から離れてもその名を隠さねば社会・世間から蔑まされる。墓石は、寺の境内に設置されることは許されず、狭い離された地にまとめられ、自分の家の庭先や田んぼの土手にもある。死んでも寺の僧侶は導師を勤めることを拒否し、戒名(法名)はいわゆる差別的な字、字数、字抜けなどでつけられる。そして戒名は寺の過去帳に記録され、墓石に彫られ、位牌に記される。すなわち、戦後になって差別は多面的に改善されてきたけれど、その差別の実態は引き継がれ継続する。朧気には知っていたけれど、差別名字、差別戒名などの実態を具体的に知ることとなった。
 例えば浄土真宗などの仏教が掲げる理念は薄くなっているし、「葬式仏教に堕した」と言われるが、その葬式に関わることさえ部落は拒否された。仏教(僧侶)が悪い、差別する側がひどい、というのは簡単であるが、本質は社会の中に生きている個々の人間がその社会に飲み込まれ、差別する言動を身に浸み混ませてしまうという性なのであろうと思う。もちろん差別される側の悲しみや憤り、怒りのほどは自分の想像を超えるものであろう。しかし、誤解を恐れずに書けば、繰り返しになるが、人はいとも簡単に社会(世間といってもいい)の空気を感じ取り、それが醸し出す一体性に身を依存させてしまう。そのような人間の性というか業のようなものが、この社会の基底に張り付いている。それを忘れてはならないと考える。

 <國重惇史 『住友銀行秘史』(講談社、2016年)>:イトマン事件を住友銀行側から、すべて実名で著した実録。最近よく名前の出てくる自民党の竹下亘の名前も何度か出てくる。銀行のトップクラスが策略をめぐらし、銀行という組織の中でヒラメのごとく上を見ては保身を考え、日和見的に動く。また、官僚や新聞記者と協力しあう。言えるのは自分が働いてきた実際とは全くレベルも環境も何もかも異なる異質な世界であるということ。
 一方、保身的な行動には共通性がある。会議では碌な発言もしない人が、結果が出てから、「実はオレもあのときはそう思っていた」なんていう台詞には何度も接した。実際には展開しないが、トップにいる上司が喜ぶからと意味のない戦略も何度か作らされ、ひねくりだしたこともある。
 銀行と官僚、マスコミ、フィクサーたちの絡み方はいまの森友騒動にも通じているような感あり。話題になった本であり、またそれ相応に厚い本であったが、所詮オレとは異次元の世界。無論ミステリーのような面白さも覚えなかった。

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