2017年3月4日土曜日

幾冊かの本

 <中島義道 『差別感情の哲学』(講談社、2009年)>:被差別部落・障害者・在日・性・LGBTなどを対象に多様な差別が存在する。そして差別をすることへの抑制・禁止がある。しかし、差別はなくならないと思っている。あらゆる差別に対し、差別する側もされる側も本質的には人を差別する(してしまう)ことは不可避と思っている。言いかえれば立場を変えればどんな人も人を差別する(してしまう)ことに陥ってしまうと考えている。ここでいう差別は何も態度あるいは言葉として発する差別だけではなく、表には出さずとも心の中で抱いてしまう感情をも含んでいる。差別のない社会は実現不可能である。また、一切の差別感情を抱かない人もいないと思う。そして、「差別」に関する本が何冊か手許にある。順番として先ずはこの本を読んで頭を整理し、範囲を狭めた本に進もうと思う。
 そもそも差別する感情は何から生じてしまうのか、そのヒントを得ようとこの本を持ち出した。組織的に、法的に、社会体制をどうすればいいのか、などとは考えていない。あくまでも差別感情の本質に近づき、自分がどう向き合うのかが課題である。本文にもあるように人間は平等だとか、基本的人権などとそれらを眼前にぶら下げるのはきれい事としか思えない。運動会で順位を争わないとか、学校の成績を柔らかに3区分に表現するとか、努力すれば報われるとかそんなきれい事を塗り重ねても、厚化粧はいつか剥がれるが如く、きれい事も削ぎ落ちる。
 人びとのあらゆる行動には必ず差異(優劣)が生じる。勉強しても運動しても差異は生じるし、そもそも努力する能力にも差異はある。生まれながらの差異もある。個々の人間はその差異によって生じる(生じた)差別に晒される宿命にあるし、差別してしまう感情を完全に消滅はできない(多分差別感情のまったくない人間はつまらない人間であろう)。差異が生じれば上下関係(権力)もできる。その差異構造の本質を見えないように努力しても見かけ上の結果にしか結びつかない。いじめもなくならないし、いじめ対策もいつも空疎な言葉しか発せられない。
 そのような中で、巻末の言葉は大切にしたい-「”差別したい自分”と”差別したくない自分”とのせめぎ合いを正確に測定」し、「”差別したい自分”の声に絶えず耳を傾け、その心を切り開き、抉り出す不断の努力をすること」。

 <奈良 人権・部落解放研究所編 『日本歴史の中の被差別民』(新人物文庫、2010年)>:部落史を扱う。関心は部落発生を歴史的に知ろうとすることにある。ケガレの意味や部落囲い込みの発生経緯が述べられる。部落史がどのように学術的に取り扱われてきたのかなどには関心が低い。異なる者に抱く人間の感情、集団の発生から惣村、太閤検地による体制への組み込み、人の動きと都市化、などなどが論述される。異人論の二面性(恐れと幸運をもたらす)はどの民族にも社会にもあるとされるが、日本文化における霊魂についてはよく理解できない。霊魂・言霊・祭祀・信仰・鬼神・信仰・宗教・・・苦手な分野である。

 <安彦良和 『ヤマトタケル4』(講談社、2017年)>:伊勢湾を通って火が放たれる草薙の場面に入った。

 <三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖⑥』(メディアワークス文庫、2017年)>:最終巻はシェークスピアの稀覯本が題材。まま面白かった。ただ、登場人物の描き方がどうも中途半端で描き切れていない。また、3冊のうち本物はどれかという仕掛けは途中で推測でき、稀覯本に対する展開は面白いけれど、ミステリーとして読むには物足りない。
 アニメと実写で映画化されるらしい。以前にもテレビでドラマ化されたが、その際は古書店の広すぎる店内などに違和感を覚え、また栞子さんが剛力彩芽という嫌いな女優であって興味が削がれた。透き通る肌で長髪の内向的な美人、小柄でスリムだが巨乳という彼女にどのようにキャスティングするのだろうか、少なくとも表紙に描かれるような女優は思いつかない-そもそも若い女優を知らない。
 シリーズは終わったけれど、あとがきにスピンオフ版は出ると書かれている。

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